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0807096015_8.jpgなんつーの。
社会面系以外のニュースには疎いほうで。
どうも日記形式で取り留めもないような事を書くのは苦手だし、しかしせっかくブログやってるんだから、過去に出会った創作物、特に自分が大きく影響を受けたものなんかについて、紹介を絡めながらもっと書くべきだし、実はそれが一番やりたかったのだということを忘れかけていた気がするのだけれど。



20080627_megaman03.jpgしかし、左の画像で紹介されているゲーム、ロックマン9 野望の復活!とか、どう見てもファミコンソフトにしか見えないんだが、知っている人は知っていると思うが。

実は2008.09.24発売のゲームだったりするんです。

実は私、生まれて初めて親に買ってもらったソフトがロックマン4で、生まれて初めてハマッたソフトがロックマン2だったりするんです。





某ニコ動で「思い出は億千万」とか流行っていた頃、一度聴いただけで「ああ2のワイリーステージの最初の曲だね」とか判別できてしまうようなキモイコアなゲーマーだったりします。「エアーマンが倒せない」とか下手糞過ぎるだろ。

まあ、大昔のファミコン風グラフィックで新作を出すというのは、あざといといえばあざとい手法の売り方かも知れないが、それでも11年ぶりのナンバリングタイトル、思い出深いのは当たり前で、ついつい小学1、2年生の頃入り浸って2やら3やらを遊んでいた(今は社会人の)友人の家で、発売当日に、なんたら無双とかしかやらんようなぬるいゲーマーは即刻ゲームオーバーの難易度にもかかわらず、クリア直前まで進めてみたりとかしてしまうわけです。

cyankomiso.jpgで、時も所も変わって、先日の土曜日、鍋に御呼ばれした大学前の友人のアパートで、再び(ほぼ)最初から進めていたのだけれど、いかにも今どきの大学生な酔っ払い騒ぎを尻目にコツコツ進めていたのだけれど、翌日気がついてみると部屋は荒れ放題、いつの間にかコンセントが引っこ抜けておりTV共々Wiiの電源もアウト、8ボス前まで進めていたデータもアウト、ちゃんちゃん。
となって、2008.10.14現在に至り、自分は未だエンディングを見てはいない。




img10311443124.jpeg
コイツがいけなかったのかもしれない。

露西亜製VODKAのStolichnaya。
飲みやすくて大変美味しゅうございました。今時ショットグラス(ストレート)でウオツカをひっかける奴も珍しいらしい。その珍しい奴が二人も居たので、調子にのって丸々一本空けてしまった。






しかしまあ、そんなどんちゃん騒ぎの経験をする機会も、あと半年もすれば滅多になくなるだろう、というのは皆理解している。地元じゃすでに大人数が集まるような事は殆ど無い。来年も大学に居残るものとしては、一抹の寂しさを感じるような気もすれば感じないような気もするし、ぶっちゃけてしまうと自分は独りが大好きで、「君は一人じゃないんだ」みたいな定型文には嘘しか感じないので、少々嬉しくもある。

…なんて書くと冷たい人間としか思われない、というのが難しいところで、自分の持っているやや調子にのった人間関係への哲学は本当に理解されにくくて、昔は「普通の人間になりたいです」なんてのたまっていた気もするけれど。「人は一人では生きていけない」なんて当たり前だ。生きていくためには、という次元の話じゃない。

孤独を埋めようと躍起になる奴がこんなに一杯居るのはなんでだろう、という話だ。ちょっと必死すぎるんじゃないかとたまに思う。思いつくままにキーボードを叩いていたら脱線しすぎじゃないか、ロックマン9はどうした、と今思う。このままだとまた冷酷非道な人間扱いされてしまうのでいつか補足しようと思う。

450px-MegaMan9PromoArt.JPG
しかし、野望の復活ですか。

11年ぶりの野望の復活。

野望はあるかい。

俺は多分ある。具体的にはまだ分からない。

なんじゃそら。




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28 2008 / 09
合宿の帰りに甲府市の友人宅へ寄り、そのまま3泊したのちに、やり残していた3つの用件を果たすため実家へ戻って更に3泊し大学前のアパートに戻る。
当然ガイダンスは終っている。

・モダンとコンテンポラリーについて
(または便器について)

とても言葉にし切れないお話です。

「デュシャンという冷笑家がいて、彼は公衆トイレの便器を取り外してきて、そのまま“泉”というもっともらしい表題を与え、美術展に出品して展示させた」

そんな話を昔聞いたことがある。
ちょっと調べてみれば枝葉ばかり付けられているのがわかるけれども、マルセル・デュシャンのその振る舞いに、現代美術ってそういうものなんだろうかとすっかり思い込まされていた感がある。

2年ほど前、自分は某4分33秒のアイディアをそのまんまパクって映像作品化、サークル主催の上映会で垂れ流してしてしまったのだけれど、その「上映会」という枠組み、システム、絵画に例えるなら額縁、美術館に例えるなら建物とその空間自体という、“アート”呼ばわりされている諸々の事物を下支えしつつ、強固に固着させているものが、その“額縁”そのものが好きなんですって事を表現したかった、というのが一つあった。

清里現代美術館

ところが、そのサークルの合宿でこの度立ち寄ってまいりましたこの場所で、とある勘違いに気付かされました。ナマでジョン・ケージの書いた譜面(五線の上に文字の羅列とか直線とか曲線とか多角形とか円形とかが滅茶苦茶に書いてある)を見るのはショッキングな体験でした。

芸術ARTとはなんぞや。

フルクサスの“運動”が目指していたものとはなんぞや。

まず結論、というか、この場所を訪れて自分が確信した事。

芸術とは“ものの見方”だ。

少し噛み砕くと、芸術活動というのは、“創作”ではなく“鑑賞”にあるのだと。

まあニーチェじゃないけれども、作品をみる者もまた作品によってみられているのかな、と。芸術を、芸術、その言葉が指し示す枠組みとして捉えなおす時に見えてくる、ある画家やその作品を頂点とした一種のヒエラルキー構造、社会的な立ち居地、その中に押し込められ祀り上げられた“作品”が逆説的に、社会の中にありふれているものそれ自体、たとえば便器とかだった場合、鑑賞者はそれをどう観ればいいのか。

デュシャンは本当にダダイストとして破戒的に振舞っていたのか。

“ものの見方”がアートの本質であるならば、売る者と買う者の関係のような受け手と送り手の構造は再び解体され、その気になれば現実の生活に存在するもの全てが芸術になる。

ところが、現実の生活の中で目にするものに対して、人間はそれが作られた目的や意味を理解しているし、それに沿って生きている。椅子は座るという目的のために存在していて、座らなければ意味が無い。ではそれら“意味”や“目的”を剥脱された形で、モノを目の前に置かれたらどうだろう。座れない椅子、用を足せない便器、どう足掻いても読めない楽譜、“意味”のわからない写真、写真、絵画、絵画、文章。

ところが、実は意味も目的も付与されているのだと思う。

美術館と額縁による、“芸術”という社会的枠組みのシステムに乗る事によって、それらは確かに完成している。逆説的だけれど、意味を剥脱する事に意味があって、目的を持たされぬままに存在する事が目的なのだ。だとすれば、デュシャンやジョン・ケージ、ヨーゼフ・ボイス、フルクサスが目指していたものとは、枠組みの破壊ではあっても、それは芸術の枠組みではなく、芸術を芸術としてその狭いカテゴリーへと押し込めようとする人間の、内なる枠組みなんじゃないだろうか。

そうした活動をアートと呼んだ時、建物や額縁といった本来芸術の外側にある枠組みすら、作品群の一部でしかない事になる。それらにとって真の意味での外側というのは、社会そのもの、現実そのものであり、そして同時に展示されている作品そのものもまた“枠組み”なんじゃないのか。その、観るものに対して働きかけようという動的な力が、“前衛”芸術の“前衛(もとは軍隊の言葉)”たる所以でしょうか。
やっぱりデリダの活動を思い出してしまうなあ。彼が言語に対して感じていた危機を、これらの作家はむしろ奨励するんじゃないかという気がする。

だらだらと書いてしまったが、現代美術の一面としてはこういった見方も出来るのではないでしょうか。という、ただの一例でございます。読んでしまったならぜひ一度訪れてみてください、すごい所です、清里現代美術館。

次はロックマン9についてでも書くと思います。
散々ぱら宣伝されていたコレだけど、一見してどうも薄っぺらそうな印象しかなかったので全く何も期待していませんでした。
クーリエ・ジャポンの広告で中田英俊やよしもとばななが絶賛していたのでちょっと食指が動きました。
でもポニョ観にいかなかったら一人映画館に残ってついでに鑑賞する事もなかったでしょうが。


The_Sky_Crawlers.jpg監督 押井守
原作 森博嗣
cast 加瀬亮
菊池凛子








ごめんなさい。
本当に素晴らしかったです。
ついつい手放しで絶賛したくなりました。
押井守の映画は、攻殻の一作目以外はあまり面白いと感じなかった俺ですが、これは。
心に刻み付けられる何かがありました。

実家でネットにつなげられない間、左のリンク先からいける●spotwriteのmagoshinさんに先に賞賛されてしまったのがちょびっと悔しいです。何だこの独占欲は。

この作品の全体に満ちる空気が、メンソール系煙草のような爽やかさと毒っ気のある匂いに満ちていて、どうにも切なくなるなあ。
酒にタバコに女に殺し、って、お前等どう考えても子供じゃあないっしょ。とツッコミを入れて気がついたのは、酒やタバコや女に眼が無くて、そういう時間のつぶし方しか出来ない、生のけだるさというかかったるさを抱えたまま日々を食いつなぐだけの、いわゆる大人たちもまた、子供でしかないんだろうな、とか。
付き合いで足をはこんでみたら。


ORG_20080414000303.jpg崖の上のポニョ

監督・脚本 宮崎駿

制作      鈴木俊夫
cast     奈良柚莉愛
  土井洋輝




ぽ~にょぽ~にょぽにょ魚のこ♪

と口ずさむ子供等が一杯いて。
ああトトロの公開時もこんな雰囲気だったんだろうか、本来対象とされる年齢からは俺って15歳分ぐらい外れているんだろうなあ、下からも、まあ上からも、となった。

ジブリというか宮崎映画の新作って、まるで良く聞き込んだアーティストの新盤のように、あきらかな変化と、前作からの名残の両方が、均一に混ざり合おうとしながら自然な形で込められていると思う。じゃあ“ハウル”からの名残は何なんだって事になるが、それはもう、物凄くあった。世界観やら設定やら、緻密に固まっていそうなのに十分な説明が無いままガンガン話が展開していったり、物語の構造というか、セオリーとしての起承転結が巧妙な手段で解体されていて、あえて言うなら“起転転転結”とかそういう風になるけど。むしろそれが出来るのが素直にすげえなあ、アニメーションの力だよなあ、と思う。

「ハウルの動く城」では、やっぱりどうにも「映像手法としてのアニメーション」が「全体を統べる物語」と食い合わせ悪かったんじゃないか、というか、両者がまさに戦争していてしかも前者が負けていたんじゃあないのか、などと考えてしまうのは、この作品を構成する“動き”が、それだけ力強かったからこそそう思わせるのでしょうか。

05 2008 / 08
もう1週間以上も前の事にはなるが、海水浴に行った。
マジで。

近場じゃなく、なぜかこの時期最も混雑が予想される江ノ島海岸(辻堂東海岸)まで車で行った。
半端じゃなく込み合っており駐車場が空くのを待つ間ぼうっとビキニの女の子を眺めていた。

知り合い全員が俺をインドア系だと思っているだろうし実際間違ってはいないが、泳ぐのは好きだ。泳ぐのがと言うより、水に身体をつけてぷかぷかと浮かんでいるだけでも心が安らぐ。

砂浜は焼けた鉄板のようで、打ち寄せる波しぶきを少しづつ浴びながら身体を慣らして海に入り、足がつくギリギリのところを、海水浴場になってる地域の沿岸に沿ってゆっくり泳ぎながら、何時間もゆらゆらと波に揺られ続けていた。

浜から離れるにしたがって水底は徐々に冷たくなり、砂の粒子も大きくなる。
海面の揺れにうまく乗れなかったときには、頭から海水を浴びて口中が塩辛くなる。
水面が揺らぐ時、底のほうで冷たい潮が流れるのを同時に感じる。
海は常に、大きく小さく揺らいでいて、全身でそれを感じながらたっぷりと泳ぎ、浮かんだ後、重力の僅かな違いによろめきながら、波打ち際近くの水の暖かさ、砂のきめ細かさをあらためて踏みしめる。
ただそれだけのことがたまらなく心地良い。

今こうして書き綴ってはいるけれども、あの日あの時の自分は、それについて何も語れないような、あの海が作り出す環境の一部だった。そういう気分になれる場所があることを、長いこと忘れていた気がする。何年ぶりだ海水浴なんて。

そういうわけで今年の夏は十分満喫しました。
まだ暑いね。

もう夏はいいや。はやく終ってくれ、などと思い始めるエゴイストでした。
あとネット繋がりました。
05 2008 / 07

夏場はちょっと神経を研ぎ澄ませてみると、街も田舎も、鼻先をかすめる風に様々なにおいが混じっていますね。7割が“臭い”のほうだけどな。

触覚や嗅覚と記憶とは密接なかかわりがあるのだと思う。ちょうど今ぐらいの初夏の陽光や空気の肌触りの感触、特有のにおいを、もう覚えていないほど昔おなじように体験したんじゃないかと、そんな軽いデジャヴュ体験を最近するようになった。

その事とは関わりがあるんだか無いんだか知らないけれど、先日母方の祖父の13回忌があり、2年ぶりにスーツを身につけて出席した。のだが、お経ってちゃんと聴くとしっかり日本語してるんだなあ、とか、ついに親戚一同に喫煙者であることがバレちまったなあ、祖父の死因は肺ガンだったよなあ、などと不謹慎かつどうでもいいことばかり気になって、坊さんの本尊の住職が最近なくなった話なんかを聞かされても、なぜ読経の直後に無関係な私らにとか、つまり気持ちが締まらないというか、始終浮き足立っていた。もう昔のように、墓前に立ってみても、そこに祖父が“いる”のだという感覚があまり沸いてこない。いや居るのかもしれないけれど、だからといって家族の前で畏まってどうするんだという気もする。自分は70代まで行きぬいた人の死を不幸なものとはあまり感じない。

祖父とは四歳から11歳まで一緒に暮らしていたのだけれど。それ以前までどんな人生を歩んできたのかなんて、たとえば国鉄の本社勤務だったとか、戦時中は軍医だったんだとか、そういう断片的な話でしか知りはしないし、そもそも自分自身で体験した事実も、13年も経ってしまったからには断片的な、追憶によって加工された形でしか残されてはいないだろう。

家族も、世の中も、何より自分自身が、見違えるほど変わってしまったし。
「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一著 講談社)という本にもあったけど、人間の体を構成する分子は1年も経てば完全に全く入れ替わってしまうし、マウスのDNAからある細胞の構造情報を除去しても、発生過程で別の細胞がその役割を代替するのだそうな。
また引用するけどグレッグ・イーガンの「順列都市」の方法を用いれば、現代のコンピュータの性能程度でもニューロンのネットワークを模倣する模擬人格が、リアル時間の何万分の一かのスピードならば再現可能だし、そうなってくると、命そのものも一種の情報なんじゃないかと思えてくる。
情報化社会というのは、情報が氾濫し錯綜したり、高度な効率と高速化の達成であると同時に、それまで“情報”に属するものとみなされなかったあらゆる事物が、“情報”として一元化される事なんじゃあなかろうか。この記事の冒頭で“におい”について語ったように。

…まあそんな事はいいとして、最近渋谷の店で衝動買いしてしまったMarc by Marc Jacobsの(ちょっと寝巻きのような)Tシャツがえらく気に入ったので、これ含めた3着ほどで秋まですごそうかと思っている今日この頃です、はい。

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