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28 2017 / 05
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042.gif



今月号の表紙。

←公式サイトへ。





大学入学直半年後くらいに、当時隔月だったこの雑誌を書店で読んで、ピンと来た。
「ああ学生っぽい」

「大学生っぽい」「すごく大学生っぽい」「特に私立文系っぽい」
「都心からちょっと離れたところにある私立文系の大学生が暇潰しに購読するのにこれ以上適した雑誌があるものだろうか」
「むしろそれ以外の購買層って想像つかないんすけど。ピンポイントで俺みたいなの狙ってるとしか思えないんだけど」
「世界をまたにかける実業家とかが買うとは思えんし」

簡単に説明すると、国際ニュースのセレクトショップというキャッチにある通り、各国の新聞社や通信社、出版社と提携して、毎日紙面やテレビを賑わす世界中のニュースから、ここの編集部が「面白そうな」ものや「変わった」話題、「hot」なネタをピックアップして掲載する、という、ニュースのつまみ食い的な雑誌である。

今月号の場合。
冒頭に「世界一の金産出国は?」というクイズが。
ページをめくると、靖国神社をテーマにしたドキュメンタリーがリ・インという中国人監督によって制作されたとか、4月12日から東京・大阪で公開されるとか。「話題の人々」では、ホメイニ師の孫とか、インドネシア版「24の瞳」といわれる作品の著者とか、無事出産を果たしたHIVキャリアの人なんかが紹介される。特集の「Fashion confidential」では中東のブランド店誘致合戦が興味を引いた。「ノーベル賞作家の書斎を訪ねる」には大江健三郎が出てる。これまた特集「バグダッドの日常」について表紙に「自爆テロだけじゃない」そりゃそうでしょうなんだよその文句は、とは思ったが、内容は結構良かった。イラクの国会は国旗変更の議論に結構な時間を割いたんだそうな。

……まあそんな感じの雑誌です。文章の量はかなり少なく、本当に話題の入り口だけ、ニュースの全様をさらっと紹介するものばかりで、特に突っ込んだ論評は無いのだけれど、それがこの本の良さだと思う。

フランスの同名誌からヒントを得たんだそうで、ちょっと出典元の提携誌がリベラル寄りな気もするけど、文化相対主義に則ってやるのが正しいタイプの本なので、たとえば書かれていることと記事の引用元、国籍を比較したりとか、読み手が色々想像を膨らましたり、ネットで詳しく調べたりする為の入り口として最適なんじゃないかと。そういう意味では、ネット社会に対応した紙媒体情報の、ひとつの形態ではあるかもね。

何より、読書中の、ありとあらゆるカテゴリー的な、そして地理的空間的なトリップ感覚が楽しい。

「世界が見たNIPPON」では、毎号海外メディアにおける日本関連の記事を載せていて、その手の「日本はどう捉えられているの」話が好きな人にはたまらんと思う。かくいう自分もその一人である。

あと森巣博のコラムは正直ちょっと好きになれないが、元外務省官僚の佐藤優氏や、評論家の山形浩生氏の連載が読めるのは嬉しい。

カンダハルの石鹸売りはレイチェル・ゾーの夢を見るか。
おススメの雑誌です。
特に、ヒマな私立文系学生の皆さんに。
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ほとんどただの独白に近い記事である。
要約すると「ネットとの距離を縮めようと思います」か、或いは「言語との距離を縮めようと思います」になるのか。
多分こんな事を考え始めたのは、サークルの卒業生に宛てたメッセージビデオを撮った事が原因かと。


「書き手がどんなに論理的だと思って書いたとしても、
読むものよっては詩のようなものでしかない」

年明けのあたり、たしか上記のような文章を載せた気がする。つまり形而上学的な言い方をすると、「エクリチュールがパロールを侵食する事態」を指しているんだけれど。誤解を恐れずさらに縮めると、意味するもの(シンボル)が意味されるものを凌駕する事態ってことになるのかな。
まあともかく、そんな考え方が、自分の中にいつの間にやら形成されている事に気付き、自嘲気味に書き込んだ言葉ではあった。

そういう考え方が根底にあるので、自分が普段使う書き言葉話し言葉は、むしろ逆になりがちなのだろう、どちらかというと突き放すように端的であることが多いなと感じる。自分が何を伝えたいかよりも、その場の空間や、聞き手にどう捉えられるかが第一だった。言語の意味性よりも、媒体性が優先される。(「空気を読む」とかそこらへんの話とは、また全然文脈が違って、もっと根本的なもので)

ただここ最近、特に今年に入ってから、それもどうだろう、と。

そういう二律背反的な発想自体、物凄くヨーロッパの近代合理主義に被れているし、同時に時代遅れでもあるのだと、思うのだ。すごく杓子定規で、イビツだなあって。


自己分析の苦手な自分がそれをあえてやってみたところ、思った。
結局のところアレだ。

言葉の持つ暴力性に、怯えていたのだ。
そんなに多くもない人生経験を振りかえってみて、そうなる原因が山のように思い当たってしまうあたり、間違いないんじゃないか。常に、怯えがどこかにあったのだ。傷つけた言葉にせよ、傷つけられたり重荷になっていた経験にせよ、誤解もすれ違いも含めて、自分の言葉を雁字搦めにする鎖であり、枷になっていた。
特に10代後半に触れた3つの奴らがデカイし重いみたいなんですが。
当時は精神的に物凄く痩せ細っていて、その細い芯の部分を理屈と意志力だけで補強していたので、言葉をただの言葉と思えなくなっていた部分もあったのかもしれない。


「言葉の持つ暴力性」
でもこれも、そうじゃねーだろ、と最近感じる。
言葉はあくまで、表層化なのだ。
暴力性なんて、言葉を用いる人間の感情や意思、あるいは錯誤や、すれ違いのようなメカニズム、といった現実の状態そのものから生まれるんじゃないか。

一年前の誤解をわざわざ物凄い労力をかけて解いた経験や、言葉として表層化させた事実を、ずっと後になってそれが嘘だったと気がついてしまった事が、大分昔にあって。それが丁度今ぐらいの季節だった。
すっかりその頃の信念というか、考え方を忘却しきっていた。


言葉はあくまでただの言葉、ただ使い方はいくらでもあるし、時として細心の注意が必要っすね。
月並みだけど「たかが言葉、されど言葉」

……と書いてみると、唐突だが、「俺ってやっぱり日本人だったんだなあ」と感じる。
感じ入る。

「言霊」っていう日本語があるよね。
なんとなく、ポストモダンだと思うんだ。
アニミズムの香りがするけれど、全然原始的じゃなくて、むしろ凄い高度な言葉だよなと。
意味性とか媒体性やなんかで「構築」されたはずの言葉に、霊魂を吹き込む(ってことでいいのか)ために「脱構築」「再構築」を経由してるよ、すげ~!
なんて、思った。

そして。
そう思ってしまうのは、思想とか理屈っぽいものに思いっきり俺が被れているせいだよなあ、とも。
ネットって、言葉があふれすぎていて、時々エクリチュールの飽和した空間のように感じてしまうのだが。
奇妙奇天烈で面白い、でもちょっとヤバイ、異世界のように感じていたのだが。

生きている言葉、情報、「言霊」を探すようにサーフィンするとすごく面白いかもなあ、「リアルなもの」に感じられるかもなあ、なんて。思い直しつつあるので。




そういうわけで。
今まで書かなかったような事を書くようになると思う。必然的に更新頻度は上がると思う。
そんな事前予告である。

ブログという媒体についても思うところは色々あるが、まだまとまっておらず、手探り状態で、半年ちょっとぐらいだろうか、まあ何のためかといえば一番の愛読者である自分のために、ボトルに手紙をつめて流すような感じで、あえてコメントしづらい記事ばっかり書いてきた”ココ”だけど、ほんのちょっとだけでも内容に興味を持ってくれる人がいればすごく嬉しいし、ありがたいです。度々訪れてくれる方にも感謝。

(,,゚Д゚)y─┛~~~~
05 2008 / 03
季節の替わり目なのか。
寒さと暖かさが入れ替わりにやってくる今日この頃。

強風が吹いて、それが微かに湿り気と土のにおいを帯びていると、ああもう春になるな、と毎年思う。
そしてマルメラが吸いたくなる。
火を点けると条件反射的に、もうそろそろ忘れたい記憶が想起される。

この街に帰ってくると、何かこう、ドメスティックで、円環的な「日常」を感じる。
生まれ育った場所で家族もいるんだから当たり前なのかもしれないが。

それが嫌だとは(もう子供じゃないので)あえて言わないけれども、ある時期を境に、何かまがい物のような、木目調に色付けしてあるくせに実はプラスチック製の弁当箱のような、誤解を恐れずに言えば人工的でイデオロギー的に繕われた「日常っぽさ」「平和な街っぽさ」を俺に向かってかもし続けていやがるので、実は本当に単なる郊外の平和な町だと気づいてはいるのだが。
気力を抜かれるというか、バイタリティを吸い取られてしまうんですよ。
昔、妹が毎週見てた「サザエさん」が凄い嫌いでした。


実家にいると碌にやることがない。

TVGAME→読書→独書→ヴィデオゲェム→讀書

体調崩していたから、というのもあるがしかし、
結局外出先でもゲームか読書。DSとPS2とwiiが満遍なく稼動している。
そこそこ蔵書量のある市立図書館に徒歩3分で行けるし、PCは親が仕事に使う。

暇つぶしのために中古屋で古いゲームをあさったりとか。
ゲームしまくり。
ぶっちゃけこれは怠惰と言える。
その可能性が極めて高いかのように思われる。

いや、でも「もっと英語漬け」とか「TOEICTEST」とかで勉強もしたし…
スロットはやらなかったが「アツい」とか「鉄板」とかの用語も覚えたし…

DAIKEIENは中々面白かったです。
市川にある、たぶん全国でも有数の面積を誇るゲーセンだと思うんだけど。
カオスでアングラな感じが。
何がって、だって。

大慶園。
http://www.daikeien-mgp.com/

セスナ機の格納庫かよ、と思うようなでかいガレージ倉庫を4つか3つ並べて、そこに数限りないACゲーム、メダルゲーム、ガチャ、ダーツ台、ビリヤード代、果てはゴーカート場やらバッティングセンターやらカラオケボックスまで詰め込めるものは何でも詰め込んじまえ、という豪快な経営思想。建物の入り口に馬鹿でかい石油ストーブが轟々唸りをあげる、ただそれだけ、というアナクロでワイルドな暖房設備。

結構人が入っているはずなのにスカスカに感じるのは無駄に天井が高いせいなのか、それともスペースの取り方がおかしいのか。

「ここは亜米利加かよ」サイズの建造物は、印西・八千代のショッピングセンターなんかがいろいろあるけど、まあやっぱり、市川・船橋も、駅をちょっと外れると田舎な所は本当に田舎だ。
そしてこういうアングラな田舎さは大好きだ。
山梨は甲府市のドンキホーテも凄かったが、負けてないです。

もうそろそろ帰ります。

まあ本当は色々有ったしね。

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以下久々の更新なのにゲームオタク全開注意。






 ↓

風邪ひいている間に全キャラ出してクリアゲッターも9割がた埋めた「大乱闘スマッシュブラザーズX」について書こうとしたのに。

発売日に急いで買う気は無かったのについつい学前のTOYDUCKの行列に参加しつつ、最終的には20人近く揃って通学路で晒し者になりつつ、入荷本数が驚きの4本、俺は前から5人目、寒い中ちょくちょく話しかけていた前の人がそれを聞いたとたん物凄く気まずそうにしていた「大乱闘スマッシュブラザーズX」について書こうとしたのに。

実家に帰ってから入荷日を不正にリークしてもらって余裕で手に入れて椎名君とH君に感謝の「大乱闘スマッシュブラザーズX」について書こうとしたのに。

ちなみに自分のフレコは
3523-1329-7529 です。誰でもとりあえず相手になります気軽にどうぞ、な「スマブラX」について書こうとしたのに。

思い出話を延々と書き綴ってしまった。
どーすんだこれ。

とりあえず掲載しとくか。
ただの思い出話なので、つまらない人にはつまらないし、ひょっとしたら引く奴もいるかもしれないが、まあいいや別に。


 ↓
さむい。
寒いほんとに寒い。
10時間でも20時間でもベッドに潜っていられそうだ。

これだけ寒くて得をする事といえばまあ、コーヒーがうまい事ぐらいしかない。
どれだけ水っぽくても粉っぽくても、そのぬくもりを両手で握り締める悦びに浸っていると、なんというんですか、物理的温度の電気的刺激でここまで落ち着きを取り戻せるんだ、という事実によって、メンタリティは逆にクールダウンするからなんでしょうか。

そういえば、実家にはコタツが無い。
アパートにも無い。
今年はどうやってこの寒気をやり過ごそうか。

あ~温泉とかいきて~な~。
そんな思考が頭をよぎり、ふと思うが俺はひょっとしたらもうオッサンなんじゃないのか。ヤバイヤバイヤバイ。

こんなに寒いともう必要な用事以外はおウチに引きこもって複製防壁を破りんぐした活動写真の焼き増し鑑賞ぐらいしか出来ないなあ、というくだりを書き足す事で強引に。
ひと月以上前の映画レヴューの続きがやれるわけですが。

DVD、というか光学メディアの立ち位置についても同時に考えてみた。
けしてリッピングの言い訳ではない。

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これって相当昔に発表されてたオプトウェア社のHVDとかいう実証段階規格なんですが。
ホログラムの原理を使ってディスク面に縦にデータを書き込んでいて、一枚当たり1TB(テラバイト=1’000ギガバイト)の記録容量を持つんだとか。と言っても最後にニュースになったのが2年くらい前だから、今どうなってんのか知らないけど。

世の中にはスーパーHDとかいう、解像度が横だけで7000ピクセル以上あるアホみたいな規格もあるらしいので、こんな大容量ディスクにも使い道はあるのかもしれないが。

あとは、連続ドラマだのアニメだのをフルHD画質で一枚に全話収めておくとか。それ以外となると、HDDのデータのバックアップぐらいしか使い道が思いつかない。HDDのバックアップにしたって、自作動画なんかやってても1TBも使うわけねーよ、という事になる。こんな事言うと、BDだとかHD-DVDのデベロッパーに大変申し訳ないが……

光学ディスクメディアに未来はあるのか?

HDDもフラッシュメモリもどんどん大容量化してるし、耐久性も高くなっている。iTunesで映画も買えるし、ストリーミングでの映像配信サービスも拡大し続けている。CDもDVDも焼きたい放題だが、普段スピーカーにつなげるのはiPodやなんかのポータブルオーディオだし、世界中の計算速度がフラットに流動化している時代、どれだけ複雑な暗号化技術も破られるのは時間の問題だし。

光学メディアの最後の砦は保存性と、手に持って確かめられるモノ、という所有感ないし安心感ぐらいじゃないのか。


で、気付いてみたら、その所有感のために結構なお金をはたいている自分の存在に気付いてしまったり。本作は買いそびれたままだけど。

次世代ディスクが登場してるご時勢に¥4000とか¥6000とかで平気な顔して売るなよ、というのはでも確実にある。
以下本文。
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10 2008 / 01
平成も遂に廿年目を迎えました。

年もアケマシテオメデトウゴザイマス。

略してアケオメ。

さらに略して

アメ。


年末年始の行事。

同窓会的な、よく分からない集会でよく分からない駄弁り。
こういう空気が好きだ。

生後一年半になる、タメの友人の子供を抱いた。
ヤバイ可愛い。
子供をここまで可愛いと思ったのは生まれて初めてかもしれない。
自然に顔がニヤつく。

大晦日の夜は津田沼のゲーセンで友人のメダルを100枚ぐらい全部スッていた。
突然店員がクラッカーを配りだす。
鳴らすものか否か、年が明けた後に10秒ぐらい考えてからやっぱり鳴らす。
その後64版スマブラを3人で延々とプレイする。

年が明けた。
お年玉なんてものをいまだに貰っているのだが、
今年は遂にあげる側にもなってしまった。

成田山新勝寺に初詣に行く。ヒトが一杯いたことしか記憶していない。

アパートにたどり着く前に飲みに誘われる。
インフルエンザをうつされそうになる。

年末年始は思考が完全停止していた。
実家の暖房は利き過ぎる。

今年の抱負は”アウフヘーベンaufhebenする”

相変わらずこんな調子である。

椎名君にタダで頂いた鼠のライター、オイルが切れました。

年末年始という行事があったから、なんて理由で文章を書くとこんな始末。

俗世のイベントは自分にとって人付き合いのうちのものでしかないようだ。

だが、人付き合いそのものが占めているウェイトが、大学入学以降限りなく増大する傾向にある気がする。
だからといって付き合いそのものが増えるわけでもないのだが。

今年はもっと文章と向き合おうと思う。
読むにしろ、書くにしろ。

特に書くという作業をするにあたって。

恐らく、去年までの自分は無責任に思いついた言葉をポンポン言い放つ傾向が高かった。

分かりやすく伝える、説明するといった努力を根本的な部分で放棄してしまう傾向が高かった。

「筆者が、どれだけ論理的だと思って書いた文章も、読み手によっては所詮”詩”のようなものでしかないんだ」

という、突き放した態度。

これは、端的に言って、ヒジョーに不味いなあ。
よろしくないなあ、と。

パロールとかエクリチュールとかいう概念を持ち出すとまたややこしくなるので止めておくが、もうちょっと、「思考や概念や意思を伝達する」言語の言語としての側面、言葉のチカラって奴を信じてみようかな。

朝日新聞じゃないが。
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