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何の事前通告もありませんでしたが、"ネット断ち"しておりました、ここ半年近くの間。
何故かというと、何故だろう、己にとってそれがどうにも必要だったようなので、特に意図するでもなく、自然と。

そして今日に至るラストひと月ほどは、数日の例外を除き一心不乱に引き篭もり続け、ようやく、一編の、何だろう、ニホンゴの塊でしょうか、とりあえず自分では小説と呼ぶし、他人にもそれを期待したいところですが、そんなモノが出来上がりました。

(仮)が取れて、"アダム・グレーの揚子"

です。ヨウジと読みます。

……ああ、肩の荷が下りるってこんなにも物寂しく切ない事だったのか。

とか、

この程度の厚さにしか収まらないものに、俺は一体どれだけ妄想力を注ぎ込んだんだ?

とか、

吐き出し切った筈の猛毒が、実は毒でも何でもなく、むしろ、メンタリティ的には肺とか心臓並に重要な臓器だったんじゃねーか?

とか、

思っている気もすれば、しない気も。

とりあえず、人生の目標が一つ消え失せた事は事実のようです。
果たせたか否かなど、本人の知るところではありません、そういうものに挑んだからこそ、目標たり得たのですから。

それにしても、文章というのはおっかないね。
どれほど重大な事実だろうと、脚色を省けば、AがBした、とか、CはDだ、とか、その一分で事足りてしまう。

でもやっぱり、大事な事なのでもう一回。
"人生の目標が消えました"

……ひとつ、だけどね。



次はやっぱり、就活でしょうか。
そして、禁煙。
それでは、更新リハビリを兼ねてるんで、

今日はこのへんで、また。
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  じんるい は あたらしい オモチャ をてにいれた!

  申し訳ないがまたiPadネタになります。レビューを書きたい映画も一杯あるが、とりあえず、発売日に入手して以降の一週間を総括しておかないと気が済まない。鮮度が大事です。

  ちなみに、本文も現物のメモ機能を利用して書いています。
ソフトウェアキーでも、横にして使えばスピード的にさほどアナログキーボードと変わらない気がするのだけれど、やはり修正時の正確なカーソル移動、コピー&ペーストに少々時間と段階的操作が必要な事、さらに誤入力の多さがネックかなあ。
二本の指を使って一瞬で文字列を選択出来るので、慣れればそこそこ使いこなせそうではあるし、携帯電話の文字入力より圧倒的に高速なのは間違いないけれど。

逆に、あれだ。
あえて不満点を挙げるならそれぐらいしかないのが恐ろしい。

  革命的で魔法のよう、というキャッチは決して誇張じゃない。
テクノロジーの先端に魔法という形容を授けて、それに全く違和感を感じない時代に、我々は今突入しつつあるんです。
区別がつかないってことさ。

  第一印象は「軽い、薄い、綺麗!背面のカーブと感触、サイズからして明らかに雑誌を意識してるなあ」とか、そんな程度だったけれど。

マウスを使ってアイコンをクリックする、という、それまでのコマンド入力型UIの常識を覆す、いわゆるGUIの実現に大きく貢献した一人がスティーブ・ジョブズだった事を鑑みれば、この方向へのコンピューターの変化と、その先陣をあの会社が担うのは当然といえば当然だったのかもしれない。
ようやく技術とニーズが追いついただけ、とも言える。
これまでマウスとカーソルでやっていた操作の殆ど全部が自分の指で直接的に操作可能、というのはこのガジェットについて少しでも調べた人間ならすでに知っているでしょう。
ただ、それに伴って、かなりのレスポンス速度の改善が必要な事にはなかなか、メーカーの人間ぐらいしか思い至らなかったんじゃないだろうか。

とにかく、「すぐに反応する」事に徹底してこだわっていて潔い。

アプリとOSの全操作に共通して、ピンチ(つまみ操作)とスワイプ(なぞり操作)を使った、あたかもガラス製フロントパネルの向こうに一枚の紙が置いてあるかのような体験を用意してあり、メモやスケジュール、iBooksの画面構成からも、徹底したアナログの模倣と再現、再構築を試行している事がわかる。

これは、確かに、「誰でも」使える。
全盲の方や2歳以下には厳しいかもしれないけれど、それ以外のほぼ全ての人間(タイピングや専門性のあるアプリを除外するならば、知的障害や認知症の人も含めて)に使いこなせるんじゃないかというぐらいに、真の意味でパーソナルなコンピュータだ。


個別の機能に関しては次の通りです。

・写真

  これは最初に言っておきたい。
カメラマンや写真好きには必須のアイテムだ。
アウトカメラがついてない理由はズバリ、画素数が少ないカメラの写真には勿体ないぐらい、ビューワとして優れているからでしょう。
視野角の広さ(と、アンチグレアの保護シートも多少関係して)カタログスペックの解像度やpixel per inch からはちょっと想像出来ないほど綺麗です。まさに、現像した実物がそこに置いてある感覚。

・メール

  使いやすいというか、閲覧にはとても便利です。フォルダ作れないけどね。

ケータイメールの文化が脅かされてしまいそうな気もするけれど、それはまた当分先の事でしょう。だってポケットに入って、電話より頻繁に利用されているアイツはきっといつまでも生き残るからね。逆に、絵文字や写真添付が逆輸入される事で、正規のPCメールの利用機会がビジネス意外に広がると良いなとは思う。mixiやツイッターなんかのメッセージもこっちで一元的に扱えると素晴らしいんだけど。

・動画

  正直、期待していたほどではない。今のところ動画再生デバイスが(大画面では)ノートPCぐらいしかないので、視聴中にキーボード見なくて済むのは良いのですがね。

フレームレートの遅さはあまり気にならないが、モノラルスピーカはやはり戴けません。quicktimeに変換すると画質も大分落ちてしまうし、手に持って没入する、というぐらいのメリットしかない気がします。タッチパネルである意味も殆ど無いしなあ。

・読書

  今のところiBook storeには英書しかないが、英英辞書機能があるので、ある程度、そこそこの英語力があれば、勉強がてらに本が読めます。著作権切れの古いものが大量に揃っているので、興味ある分野の本は結構見つかる。日本語でも、i文庫HDを使えば、ネットに転がってるpdfや画像を使って似たようなインターフェイスの下バーチャルな読書体験が可能です。コミックは、見開き(本体横向き)の場合文字が潰れて結構読みにくいのではないかと思っていたけれど、それは杞憂でした。縦にして使えば単行本のデータでも連載版のサイズで読めるのがまあ嬉しいかも。勿論現時点での品揃えは極めて貧弱なのでフリーのwebコミック読むぐらいしか使い道が無いけれどね。

・雑誌

  コストがかからないからだろうけれど、印刷屋に出稿するpdfの縮小版をそのまんま流しているだけみたいなものが多い。ので、当然見開き状態では文字が全く読めません。文章だけテキスト化して画面サイズに合わせるぐらいの事はしてもいいんじゃないのか。画像を見るように雑誌を見ているようだ、今のところは。
  専門のレイアウターを入れれば、多少コストはかかってもグッと見やすくなるはず。待つしかありません。
  ただ実際のところ、今のままでも、PC向けのビューワと比較して断然ストレスがないのだけれどね。
  個人的に、デジタルマガジンには、記事の直後にそのまま多数のリンクや検索用キーワードが張り付けられているような、月イチ週イチで更新される「第二ポータルサイト」である事を目指してほしいのだけれど。

・ゲーム

  LabyrinthHDぐらいしかやってないな。あとエアホッケーか。
オセロや将棋が手軽に楽しめるのは大変素晴らしい。
最新型機で結局そういったアナログの模倣に落ち着いてしまうのは府に落ちないが、ま、コンシューマ機の如く時間を費して制作してあるソフトが少ないし。関係無いが、どんだけ移植すれば気が済むんだバイオ4。

・インターネット

  購入後数日間は自宅で使えなかったので、ガマン出来ず、近所のなか卯で、隣接するマクド○ルドの電波拾ってました。
それは兎も角。
まさに、A4の雑誌をペラペラめくる感覚でネットサーフィンが出来ます。恐ろしいほどの気軽さ。電源を入れて5秒でGoogleです。

「カジュアル」これキーワードかもしれない。

文字にアンチエイリスがかけられているため、ピクセルのシャギーが丸みを帯びていて、鋭利な文体もそうは見えないというか、ギスギスした印象にならない。

ダブルタップ時にはソースから自動的にブロックを抽出して拡大してくれる模様。

iPad本体でネット上のiPad批判を読む、という奇妙な体験をしたんですが。

失礼だけど、苦笑してしまう事が何度もあった。

個人的には使っているサイトをあまり訪れないが、それでもFlashに対応しないのは確かに残念だと思うけれどね。

ただ、それも含めて、あれができて、これができない、という機能主義的バイアスで捉える事は全く意味を持たない事にすぐ気付く。

いや勿論、ネット出来ないメール出来ない動画もゲームも動かないデバイスだったら誰も買わないけれど。

マウスカーソルでのクリック操作とDos-Vの比較で例えれば分かりやすいのだろうけれど、(ようするに、マウス操作でフォルダを開く人間に対して、あなたは「そんなのコマンドプロンプトで出来るじゃん」と馬鹿にするんですか、というくだらぬお話)このインターフェイスはほぼ確実に将来主流化するものだ。自分のように、発売日に即ファーストモデルを購入してしまう人間は、とにかく、いち早く未来に触れたい人達なんでしょう。

未来の主流という文脈からは、競合他社の類似商品が、上記した「すぐに反応する」即応性、「アナログを模倣する」かのような直感的導入の重要性をどこまで理解できているかが重要かと。
そこを満たせなかったら誰もタブレット市場におけるAppleのシェアは奪えないと思う。

まあいいとして、カジュアルさについて。

ある意味でこのデバイスはアンチギーク、反オタク的な側面が非常に強い。腰を吸えてデスクのPCと向き合い、覗き込むようにどっぷり、あるいはまたのめり込む様にじっくりネットと関わる必要なんて、実は全くこれっぽっちもないのだ、と気づかされます。

ネットイナゴの罵詈雑言や己とほぼ全く関わりのない小難しいやりとりは、人差し指でスワイプ、ピッとすっ飛ばし、一瞬のうちに画面のはるか上方へ。

逆に、普段関わりのない情報でも、興味を抱いた瞬間にその場で画面を止め、必要ならば即座に拡大して、でも肩の力は抜いたまま、リラックスして通読。

ウンウン唸るようにネットと関わる時代はもうお終いだ。
いや俺の中ではとうの昔に終わっていたけれど、最後の大掃除が終わったあとのような、清々しさ。

過剰な敵対感情、頭でっかちな思考パターンから卒業して、冷静かつ友好的に意見交換ができる人が、こいつの普及によって増えれば素晴らしい。言葉は現実を定義して支配するものじゃなく、伝える道具にすぎないのさ、阿呆どもが。

・まとめ

  個人的には、まさにイディアルなインプットツール。
何かがっつり作ろう、書こうというアウトプット志向のインセンティブが働かぬ限り、もうPCを起動する事は無いんじゃないかというぐらいです。パソコン=アウトプット、iPad=インプットという棲み分けになっている、すでに、です。

  それとは別に、一般化しつつも格好つけて言うなら、まさにiPadは境界をまたぐ道具です。
パソコンの向こうに現実から寸断された世界が広がっているのではなくて、今ある生活の中に、ライフスタイルの隙間に挟み込まれるようにネットがふと立ち現れる。   パソコン漬けで頭でっかちになったヘヴィーネットユーザーに、たった一瞬の契機で身体性の回復をもたらし、条件反射的にコンピュータと名のつく物を嫌ってきた人々に、世界と繋がる契機をもたらす。
  リアルとヴァーチャルを、敵対的でなく有機的に結びつけ、両者のキャズムをあっさり飛び越える、革命的なオモチャ。
  こいつのおかげで、短期的には、世の中ちょっと明るくなるかもよ。

それが、



(※自分は決してアップルの回し者ではありません。Macどころか、iPod以外にこの会社の製品を買った個人的経験は一切ございません、あらかじめ御了承ください)

気が済んだので、これにて自分のiPad狂想曲を閉幕とさせて頂きます。普段は別に新しい物好きでもなければガジェットマニアでも無いのですが、今回ばかりははしゃがずにはいられませんでした、ここまで呼んでくれた方に感謝。おつかれさまでした。

ではまた。


落とすと壊れやすいという噂が大変気がかり。
気をつけるしかありません。
裸のまま片手で抱えてバイクに二ケツって、無いわ。あのCMは酷い。
ていうかここ半年ぐらいの間特にしょっちゅう聴いていたもの。



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Future days / Can


正直ここ1,2年のところ、国境もジャンルも横断しまくってあちこち浮気ばかりしていた私ですが、そろそろ横ばかりじゃなく縦にも聴きたいね、と久々に既知のアーティストのアルバムを買いました。

知る人ぞ知る、というか、ソッチの界隈では圧倒的名声を集めるCanです。
ジャーマンプログレ、サイケデリッククラウト、とまあ呼び名は様々だけれど、ようするにオルタナティヴでアヴァンギャルドかつアンダーグラウンドなバンドサウンドの信奉者たちに、あえて言うなら開祖のひとつと見なされている節はあるかと。

自分はアルバムTago MagoとGuruGuru、とあとは数曲しか持ってなかったけどね。
プログレ繋がりではなく、Liars好きが高じて聴くようになりましたとさ。

さて本作ですが、光と影、そして速度のみで構成されております。
色味がとても淡い。様々な形の影が今にも消え入りそうに時折見え隠れする以外、あらゆる場所が、温度をもたぬ青白い光で満たされている、そんな世界観です。
Bel Airは素晴らしい。




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Colors / manami morita



耳慣れた有名曲のジャズアレンジ。ピアノメイン、おそらくインプロ。
激しく上下する音階。その展開でどうやって後に繋げるんだ、という最も緊張感漂う場面、そこに遭遇する事こそがまさに最もプログレッシヴな瞬間だと思うわけです。無理を通して道理を押し込めるドラマティックな展開の数々。波打つ黒鍵。何処までも突き抜けるようにアッパーなのだけれど、何処までやり過ぎても一定の優美さを保ち続けるあたりがピアノフォルテという楽器の魔力でしょうか。



MENDELSSOHN: Die gesamten Werke fur Klavier & Violoncello /
鈴木秀美、平井千絵 (画像なし)

マジ物のクラシカル。
“美メロ”とかいうしょっぱい形容詞が流行っているようですが、“美しいメロディ”じゃダメなのだろうか。
ヤク中の如く3~4母音にこだわる連中は確かにいる。それは兎も角、メロディとして最高の出来栄えのものは圧倒的多数が近代クラシックまでに出尽くした、などと言い張る人間の気持ちも分かってしまうほどに、ピュアで繊細。パーカス・デジタル加工中毒の現代人はクラシックをもっと聴くべきだ。肉はもういいからタラの芽食べたい、タレはいらない塩でいい、という。

チェロソナタ1番が特に好みです。



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この惑星の郊外で / 藤田健二




RADWIMPSなんかが、あと郊外出身で河原の土手なんか好きな方にはお勧めします。

なんだそりゃ、となるのだろうけれど、柴犬連れたお爺さんが散歩している脇を子どもが3輪車で通り過ぎる、とかそんな情景が、右から左へと連なっていく、ような空間の散りばめられたアルバムです。音源がそもそも割れているんじゃないかというぐらいのデジタル処理がなされているのですが、そういったやり方でしか描けない、夕方7時代のテレビアニメに描かれるような、日曜朝の子ども向け番組から漂ってくるような、ありえない程の、しかし平成日本のどこかにあったかもしれない、平和な光景です。




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月凪 / 東京エスムジカ



個人的に懐かしの某Zooをちょっと連想させる、『ケモノ』が好きだってだけかもしれないが。

嗜好がエスニック系を志向しているのかも、と思う事もまたしばしば。
昔からオールジャンルどれでもイケると豪語していたのだけれど、最近はまこと見境のないほどに、実に多様に。
J-POP自体が昔から、とりわけ00年代以後はボーダーレスにあちこち食い散らかしつつ取り入れているんですけれども、消化しきれていないというかタダの流用、○○かぶれで終わってしまっているんじゃないかい、というアルバムも多い中で本作は道を踏み外してない正当なポップスです。王道というか、大変聴きやすい。




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Ambivalence Avenue / bibio






ブラックミュージック風味のニカ、という事でいいのでしょうか。なんとなくjazzmatesを聴きやすくしたようにも感じる。
なぜだか切ない。アメリカンな感傷って大好きで、深夜の田舎道をタラタラ走りながら聴きたいです。
『Cry!Baby!』が最高。




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Memories 初音ミクBest / Various Artists



いまさら聴いてます。
ヴォーカロイドなんて聴けねーよあんなの歌じゃねーよ、とか言ってたのも今は昔。
3月の一件ですっかり作曲の喜びも苦しみも知った気になっているので、アマチュア作曲家を応援したがっているという側面も無きにしも非ず、という部分もあれば、ヴォーカロイド周りの動きはなんとなくネット黎明期的なものを感じさせる事もイイワケとして挙げられるかもしれません。MIDI取り締まり以前のアレとかコレとか、あるいはantihoney信者的心情か、ネットでアマチュアが~という付加価値に依っているところは大きい。このソフトの角のない声質があらゆる曲調と喧嘩しないというのもあるだろうか。
アキバ系周りは以前にも増してポルノまがいのゴミ溜めと化しつつあるがね。




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フェイクファー / スピッツ




スピッツの最高傑作と信じて疑わないアルバム。
といっても、もうあまりにも長い事聴いていなかったので忘れかけていたんですがね。
モストフェイバリットソングに「楓」やアルバムタイトルを挙げる人も多いのだろうけれど、自分は『冷たい頬』を。次点はやっぱり『謝々!』でしょうか。いや、でもどれもこれも素晴らしい。

これほどまでにステロタイプ化された恋物語を見せられると、逆に自分の恋愛観のオリジナルがそれなのではないかと、そんな気分にされてしまいます。家族に女の方が多いので、昔からあまり異性に幻想を抱くタイプではなかったと思うのですが。いや、だからこそなのでしょうか。

“あきらめかけた楽しい架空の日々に/一度きりなら届きそうな気がしてた”

“近づいても、遠くても、知っていた/それがすべてで、なにもない事/時のシャワーの中で”

こんなフレーズを並べられたら涙ぐまざるをえない。恥ずかしながら。



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The Visitor / Jim'O Rourke




壊れそうにか細くこまやかな、陶器やガラス細工の欠片のような、そういうメロディラインを、糸を紡ぐようにひとつまたひとつと編みこんだ38分3秒間。

懐石料理ですねこれは。

色とりどり個性豊かでありつつも、調和、換言するところの和の調べを崩さぬように、ほんの少量ずつ、食傷というある種のDepressionから逃れるような、繰り返さぬ事を繰り返す、破戒的な喜びを知ってしまったヒトという生物の業を、なだめるような、そういう壮年的美食の世界。の、エッセンスがふんだんに取り込まれた楽曲。

TheVisitor from USな人に見出された日本の美がここにあります。


他にも色々と。

41l6qjdC5PL.jpgJaga Jazzist

ジャズではない。



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Four tet

ていうかKieran Hebdenです。


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Cressida

Areaの系譜とも言えるだろうか。ブリティッシュだけどイタリアン。


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Fujiya & Miyagi

まあるくなったジャーマン系。


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Autechre

ここまでシリアスな遊び心を育めたらなあ。


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Global Communication

あるいはDiscommunicationか。


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五嶋みどり

ヴァイオリンてこんなに情熱をぶちまけていい楽器だったんだ。



PATRICK WATSON

これは本当に最近聴き始めました。
他人に勧められたものでは1,2を争うほど好みかもしれない。
そういうのっていつも嬉しい半面悔しいよなあ。

奥田民生

「最後のニュース」を。

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チューリップ

「ブルー・スカイ」「青春の影」をば。



雑感終わり。
twitterとUstream,そしてNishikawaさんのおかげで、日本初のiPadDJ実演生中継をリアルタイムで観賞できました。ますます欲しくなった。

しかし、ここ数日はiPadアイパッドと連呼しすぎました。インカメラ付きの後継機が早々に発表でもされない限り、遅くとも半年以内には買うつもりなので、現物を手にするまで動向を静観させていただきます。

これ載せたらね。

読み返すと本当に妄想じみたところもあるが。
SlateやjoojooやCourierも出る事だし、タブレットコンピュータと電子書籍のコンビは本気で世界を変えるんでしょう、例のごとく。

・iPadを世に送り出す事でジョブズが思い描くヤバい未来について

ヤバいよ。

新聞雑誌書籍等読み物や勉強や音楽映画鑑賞やメールやネットや電話や仕事、文字と言語、聴覚視覚情報を扱うほとんどの生産と消費、それらはすべて、個人ごとにメーカーは異なっても、同じタイプの端末の上で行われる。ケータイ族、パソコン族とは一時流行った呼び名だけれど、両者の垣根を埋めるものが登場した事で、両者とも一部の人以外には不要なものとなった。iPadが開拓したポータブルタブレットコンピュータは、誰もが普段、カバンではなく単にそれを持ち歩くだけ、という社会を実現してしまう。

ネックホルダー型や腕時計型、片耳掛けの小型インカムといった目につかないマイクと、長らく使われてきたヘッドフォン、イヤフォンが親機とBluetoothで無線交信しながら、電話や、音声入力による文書読み上げ命令、メール作成に対応。親機をケースから取り出せば、それだけで仕事も勉強も娯楽も人とのコミュニケーションも始められる。ヘヴィなインターネットユーザーによる既存メディア(特に新聞とテレビ)への攻撃は昔と比べても一向に収まる様子はないが、それら批判はほぼリアルタイムで当局に反映される。なぜなら、テレビはネットを介した多チャンネルライブラリ型放送と、それに伴う広告料+ペイパービュー視聴料が主要な収入源となり、新聞は電子版による収入が、紙媒体のそれを上回っているためだ。

データを入れたメモリやディスクを単体で持ち歩く者は殆ど居ない、なぜなら移す先などそもそも無いからだ。家の中でもデバイスは携行されて、大型ディスプレイとハイパフォーマンスなマシンは(ミドルアッパークラス以上の)家庭内の娯楽室か作業室に閉じ込められて、時々思い出されたように利用されるだけになってしまう。

テレビ放送を含む動画観賞は一人でも複数人でも場所を選ばず可能な書籍サイズのディスプレイが主流となり、ペットボトルホルダー付きだったり、Luis Vuittonなんかのロゴ入りケースが売られ、肩かけかベルト掛けかポーチ式か、はたまた片手で抱えるだけか、というファッション論争が起こる事態。あらゆる施設のあらゆるテーブルにはそれらデバイスの充電器とスタンドが備えられはじめている。

そして、人々は容易には財布とその中身を携行しなくなり、お金の現物は滅多に見なくなる。動画音楽画像文章コンテンツはもちろん、飲食店へのオーダー、劇場や展示施設のチケット購入、車のレンタル、購入、シェアと利用予約、タクシーや航空機、ホテルの予約、果ては不動産やら株やらの商取引、確定申告や投票に至るまで、居場所を問わずに、しかも事前に必要な情報をきっちり引用、参照しながら可能となる。

~ここより下本格的妄想~

04 2010 / 04
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欲しいんです、疼くんです。
去年PCを新調したばかりだというのに。
さすがにハイリスクな買い物ではあるので、何がこうも自分を急き立てるのか分析してみた。


・次元の異なる挑戦

iPodに始まりiPhoneへ繋がる、数々の、ここ10年来におけるAppleのサクセスストーリーを彩るガジェット群は、しかし振り返ってみれば結局のところ既存の商品とビジネスモデルへの挑戦でしかなかったと思うわけです。iPodとはつまり、HDの小型化とmpeg layer3という、PC向けに開発された新技術を、すでにWalkmanが開拓していたポータブルオーディオ市場へ持ち込んで成功した商品で、iPhoneはそのiPodが後期に形成したクールなイメージに後押しされ、さらにiPod touch向けに練りこまれたマルチタッチディスプレイとそれに最適化されたOSの素晴らしさが相乗効果を伴ってこれまた爆発的に売れたんだけれど、それもまた“携帯電話”という既にビジネスモデルの確立された(しかもさらに成長の見込まれる)市場へ投入されたもの。
いわゆるガラパゴス携帯ばかり使ってきた日本人にはスマートフォンの登場がそれほど大きな衝撃をもたらさなかったかもしれないけれど、それでも自分は、スタイラスを廃し直接指を使う、しかもマルチタッチに対応したiPhoneOSの快適さに触れた瞬間、比喩でなく目を瞠ったのは事実なのだけれど、だが、しかし、そこがポイント。

前述したこれらガジェットは結局、既に市場がしっかりがっしり形成されている“赤い海”に、インターフェイスとユーザビリティに関するイノベーションを持ち込んで挑んだ、いわば既存の製品に対する挑戦に過ぎないわけです。

今度のブツ(iPad)はまるで事情が異なる。今回Appleが挑戦するのは、つまり戦いを挑むのは、Netbookに対してではなく、それどころか既存のいかなる商品に対するものでもない。

挑む相手はおそらく、人々のライフスタイルそのもの。

http://wiredvision.jp/news/201004/2010040222.html

iPadは消えるという、米紙のレビュー記事が転載されていました。
商品として消えるという意味ではなく、使用中、筺体が(iPadという媒介物が)そこにある事を意識しない、コンテンツやデータに直に触れているように感じさせる、という意味だ。

今の段階ではおそらく文屋の比喩表現ではあるものの、おそらく、ジョブスが目指したのはそこなんでしょう、最初期の紹介ビデオにあった、WEB閲覧の“best way”といううたい文句にせよ。実際に700グラム前後という重量を手にしてみると、片手でホールドしてストレスを感じないのは1時間が限度という印象なので、いくら薄いデバイスでも消えるというのは大げさでウソっぽい。けれども、最初期のiPodがどれだけ進化を遂げたかを鑑みれば、iPadもまた“技術的なハードルが多少あっても、目指すべき未来に一石投じる”という姿勢に基づいた、あるべき将来のスタイルに先行投資されるガジェットとして捉えられるように思う。

で、前述した挑む相手というのも、この目指すべき未来というのも、カバンの存在に関わってくるわけです。

・カバンは要りますか?

電車の中で、あるいは駅のホームで、病院の待合室や町の待ち合わせスポット、そういう空いた時間を過ごす場所で目にするのは、携帯電話をいじくってる人と、それから文庫本を開いている人が最も多く、次いで携帯ゲームを使っている人、新聞や雑誌といった大判のページを捲る人、手帳でスケジュールなんかを確認する人、たまに仕事道具勉強道具を広げている人もいる。珍しくないという程度に居るのはノートPC利用者、化粧を直すギャル。面白いのは、ヘッドフォンを着けたりタバコを吸ったりという非視覚的行為をも含めて、そうした場で利用されるアイテムが(化粧以外)きっぱり二分されるという点。

分類法1は、取り出してまた仕舞う先がポケットかカバンか。
分類法2は、デジタルデバイスかアナログデバイスか。
分類法3は、能動的である必要が生じるものか、比較的受動的なものか。

上記3の条件に当てはめて、iPadは何処に該当し何を代替するというと……。

先ず1だけど、出かける時にカバンを提げるか否かという判断に関わるモノたちになる。確実にポケットに入るのは携帯電話とポータブルオーディオとタバコぐらい。文庫本と、ゲームはDSiかliteだったら、ギリギリでコートやジャケット、スーツにある大きめのポケットに入るという感じで、残りはカバンに入れて持ち歩く必要が生じる。iPadは当然ポケットに入るわけないので、やはりカバンかケースが必要になり、単純に考えると、手ぶらで出かける時には切り捨てられてしまうように思われる。

次いで2。デジタルデバイスはバッテリーと耐久性に難がある。通信環境の有無でパフォーマンスが劇的に変わる。が、逆説的には両者が改善されればされるほど、アナログデバイスよりもずっと利便性の高いものになる。書籍の電子化が最大のキーポイントだけれど、これは後で。

最後3について。iPadはある意味最もアクティブなデバイスであり、同時に能動的である必要のない、むしろ最も受動的なデバイスにもなりうる潜在性を秘めている。この点に関しては能動か受動かという垣根を越えて、タバコと化粧以外のすべての携行物に対しアドバンテージを持ちうるんじゃないでしょうか。言い過ぎだ、いちいち取り出してジャケット眺めながら音楽聴くのか、仕事や勉強に使えるのか、電話できないじゃん、などと反論されるかもしれない。しかし、そういう人はBluetoothのキャパシティを考えてみてください、仕事でPCソフトを使う時間のうち何割がWordとExelとPowerPointに費やされるか、なぜ2月の発表会でiWorksの新しいインターフェイスがプッシュされていたか考えてみてください。ペイントツールも簡単な動画編集ツールも、画像加工ソフトもバーチャルシンセサイザもすでにあって、しかもさらに高クオリティな業務用ソフトが、違法コピーのリスクを最小限に抑えた形で売れる状況で待ち望まれていて、開発用コードが自由に扱えるという事実を鑑みてください。
だからこそ、これはライフスタイルへの挑戦だと言えるわけです。

「iPadがあるからPCは要らない、携帯も新しいのはいらない、BluetoothでiPadと繋がるマイクとスピーカーがあって、それでskypやネット電話できるならその方が便利、だからUSBメモリもSDカードも持ち歩かない、せいぜいポケットのカメラとつなぐ程度、テレビもよほど大画面だったりとか3Dが見たいとか思わない限り新調しない、リビングでも車でも外出先でも複数人でみられるディスプレイがあるのだから。最近はあんまりカバンを持ち歩かない、買い物をすれば紙袋をもらえるし、かつてその中にあった仕事用の書類も、ノートPCも、本や雑誌も、今はiPadの中に収まったから」

という人が、ひょっとしたら数年以内にも出始める可能性がある。それもおそらく、発展途上国のミドルクラスを中心にして。現われなかったらこの商品に未来はないし、増えだしたらそれこそ新時代の到来。Appleはまさに一か八かの勝負に出たのだと思います。自社のiPhoneとかMacBookも被害受けそうだから、これは極端な例だけど。ただ、自社が抱えている商品を脅かすようなリスクを常に考え、逆にそれを先取りして自らの商売とするようなしたたかさがないと、めまぐるしい変化の時代は生き残れないわけで。

勿論現状のiPadはPCとの同期を基調にしてあるけれど、今のところ外付けデバイスで欠如している重要なものはディスクドライブぐらいな

わけで、将来的にはという話。

・Apple全体主義の野望と電子書籍

知的生産、社会的コードの完全な統合が急速に進むのでしょうか。
かつて廉太郎や耕作さんは「音楽を商売道具にするな!」と叩かれまくっていましたが、経済活動が絡む事で、その後生まれた音楽産業が、平和な時代の訪れとともに爆発的に成長し、我々の愛するポップやロックの数々が生まれい出てきたわけです。

まあそれはともかく、書籍というのはデジタル化してしまうと最もデータの軽いコンテンツである事は間違いない。
にも拘らず、紙とインクによって形成される世界は、常に今日まで社会の在り方を規定し続けてきたわけで。
政治からジャーナリズム、アカデミズムに至るまで、あらゆる近代国家の社会構造を半ば自己実現的に決めてきた社会科学、宗教哲学の基盤たるメディアが書籍と文献というわけです。従来の人文科学にはたしかに、先人の論文を引用した論文とその書籍化、更に別の研究者がそこから引用する事で論文を書く、という、一種ハイパーテキストによるネットワーク=WEBとの共通点があるのだけれど、それらがデジタル化され、全世界規模のネットワークで瞬時にリンク=引用が可能になった時、ブログのトラックバックなんて比べ物にならないインパクトを社会にもたらすかもしれない。理系ならばなおさらで、全世界のあらゆる実験結果を、決定即導入して実験、開発に生かすといった事が可能

になる可能性もあるわけで。

まあ、それもこれも、知的生産に対する正当な報酬のシステムがあればこそ。
そういう意味では、独占的にコンテンツを囲い込み、脱獄は許さんというAppleの姿勢は正しいのかもしれない。
インターネットに多くの人間が途方もない時間を投資している現代だからこそ、信頼性を持ってそれが市場化されるというのは必ずしも悪い話ではないのです。

それでも30パーセントはむさぼりすぎだと思うけど。

・従来のデスクトップ、ラップトップPCを駆逐できるか

可能じゃないでしょうか。これほどシンプルなマシンはそうそうない。
これを読んでるあなたが普段使用しているアプリケーションって、Wind○wsみたいなべらぼうに重いOS介さなければ、ひょっとしたら半分以

下の性能のハードウェアでそこそこ走るソフトばっかりじゃないでしょうか。
何より、自宅のPCを滅多にシャットダウンせず、寝ている時も文字通りスリープモード、という人が世にどれだけ居るのやら。
少なくとも起動スピードではスリープモードからの立ち上げにすら負けているし、圧倒的多数のユーザーの要求する用途と比較したオーバースペックさ加減からも、そろそろパーソナルコンピュータという括りは衰退期に入っているのでは。まあ、速くて賢いに越したことはないのだけれど、MSの独占と、無制限にあらゆるファイル形式に開かれ、アップロードダウンロード思いのまま、全部タダ!というグローバルネットのカオスは行きすぎたと思う。

次回まとめです。
作曲をやってしまった。
遊び半分で取得した大学のとあるセッション授業で、3日間半カンヅメ状態となり、マックのマウスって最低だななどと愚痴りつつ、Logic proというその名の通りプロユースのエディットソフトを用いて。
やってしまった。

実は掛け算も出来ないほど大昔にピアノを習っていたり、CDもろくに買わなかった頃プレステの「音楽ツクールかなで~る2」でちょこっと遊んでいたりもしたのだが、まともな意味で音楽制作を勉強したのは初めてで、それはもう、授業後に、このソフトいくらで買えるのかな、などとまじめに検討を始めるほど至福のひと時でした。

それにしても、愕然としたのは、このLogic proが取り分け優れている事を別にしても、ヴァーチャル環境下でのレコーディング、エディティングで今やここまで可能なのかと。一昔前の打ちこみ系ギター音のしょぼさがウソのようです。ありとあらゆる古今の楽器が取り揃えられるだけじゃない、ありとあらゆる、中には現実にありえないようなシチュエーションでのエコーやリバーブが可能だったり、直接音域や音量を操作したり、キーボード使用のレコーディングから拍子に合わせてタイミングのズレを修正したり、おそらく、環境効果音以外ならば、望みうる限りのすべての音が再現できるのではないでしょうか。

はっきり分かりました。
ライブでもやらない限り、現代の音楽制作に、どれだけ愛をこめられていたとしても、コストは(初期投資以外)ほぼいらない。楽器自体を買う必要はまるでない。こうやって生み出された曲に我々はお金を払っていたわけですね。ま、いいけどね。

ヴァーカル?自分で歌えばいいじゃん。
無理なら……そうか。
なるほど、ヴォーカロイドが流行した理由がようやく分かりました。
総表現社会の恐ろしさよ。

こんな時代になったからには、一度は自ら曲を生みだしてみてもいいんじゃないでしょうか、音楽好きのみなさん。
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