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1985/06/19
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28 2017 / 06
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20 2010 / 02
降ってほしいタイミングを見事にハズして雪になる今日この頃です。
avatar-thumbnail2.jpg










アバター観ました、だいぶ前になるけれど。
ミクロアドベンチャー以来の3D。こういう試みを映画と呼んでもいいものなのか、普通にこれまで作られてきた劇場映画の文脈でシナリオや演技やマーケティングが行われいるが。

“そこに居る”感じはもう、それはそれは。
むしろそれこそが最大の関心だったので十分楽しめました。

これを含む半CGアニメ映画の最大の課題が“CGくささ”をいかに払拭するかという一点なのではないかと思うのだけれど、3Dで見せた時、むしろCGパートは実写部分よりもはるかに存在感を持っていました。いろんなパーツくっつけすぎだったり、やたらピカピカさせたりと、そういうアメリカンなデザインセンス方面からの、ありそうもなさがまた“CGくささ”を際立たせる一因で、ジャージャービンクスとかゴラムとかクローバーなんかもいかにもアニメっぽかったのですが。そして、この映画のキャラクターたち、のみならず架空の衛星上の世界それ自体がやっぱりアメリカンな装飾過剰気味のデザインで溢れかえっていたのだけれど、3Dである事が逆に大きくプラスに働いて、それらコテコテな森の住民たちの躍動感、息遣いがありありと表現されていて圧倒されました。
だからこそ、カットの切り替えの速さが惜しい。3D映画の場合、1カットが通常の映画の3倍の時間長くていいと思う、おそらく。ただでさえ焦点がずらされて見づらくなるので、“そこにいるのだ”を本当に強調したいのならばね。
手を伸ばせば届きそうなコクピットのフロントガラス、うっとうしい樹木の蔦、温度まで伝わってきそうな水や炎、滑らかでぬめりのあるブルーマンの肌、何もかも確かにそこにあった。宇宙旅行から帰ってきたような気分になります。

X-pand方式だったのでメガネ重かったけど。

ストーリーは、よくダンスウィズウルブスやもののけなんかと比較されるが、主張は確かにかぶる。でもエイリアン扱いされちゃたまったもんじゃないよね、被征服者のみなさんは。それは相対主義とは言わない。ネイティブアメリカンだって銃持って戦ったんだぞ、そういう意味では、やはりグローリーやラストサムライのズウィックのほうが、単なる「白人の弱いもの賛美」から一歩抜きんでているよう思う。ナウシカともののけの対比で言ったら、ナウシカ寄りの主張というべきか。
“被征服者の素晴らしさ”を強調するための魅力的な3D世界、しかしそれは完全な架空の世界、というのは皮肉で面白いね。

それよりも面白い意見としては、主人公がネットゲー中毒者に見えるというもの。なるほど完全な架空の世界なわけです。


そしてなぜか、ポカホンタスがまた観たくなりました。
マイフェイバリットなディズニーアニメのひとつです。
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某制度始まりましたね。
某制度で分からない奴はもうちょっと政治に関心を持たないと社会に捨てられるぞコラ。

……で、鑑賞直後の一時期、その某制度について耳にするたび思い出していたのがこの映画です。三谷映画は全部見たけどここでネタにするのは初めてか。このタイトル、確か何かのパロディだったように記憶しているんだけど、それが何かはもはや忘れ去った。

2113D4PQYEL._SL500_AA140_.jpg










プロットが素晴らしいというか、プロットをそのまんまセリフとして語っちゃっているというか、役者のギャラさえ払えれば自主制作映画と殆ど変らないかむしろ安いぐらいのコストで撮れそうなのが凄い。何しろ全編にわたって殆ど一部屋のなかで話が展開するのだから。だって原作が舞台劇だし。

いわゆる室内劇として理想的なのは緊張感を持続させる事だけど、他人の人生に関わる討論の場に作りすぎというぐらい濃いキャラクターが12人も居るのは美味しいシチュエーションで、これで面白くならないはずないんだけどね。「きっとあなたもどこかにいる」だったか、そんなコピーをDVD版のCFで見かけた。そういう、観客が登場人物の誰かに肩入れ出来る巧妙な構造を持った作品て近年あまり見ない。
俺が一番感情移入できたのはトヨエツと村松克己かなあ。


散々ぱら宣伝されていたコレだけど、一見してどうも薄っぺらそうな印象しかなかったので全く何も期待していませんでした。
クーリエ・ジャポンの広告で中田英俊やよしもとばななが絶賛していたのでちょっと食指が動きました。
でもポニョ観にいかなかったら一人映画館に残ってついでに鑑賞する事もなかったでしょうが。


The_Sky_Crawlers.jpg監督 押井守
原作 森博嗣
cast 加瀬亮
菊池凛子








ごめんなさい。
本当に素晴らしかったです。
ついつい手放しで絶賛したくなりました。
押井守の映画は、攻殻の一作目以外はあまり面白いと感じなかった俺ですが、これは。
心に刻み付けられる何かがありました。

実家でネットにつなげられない間、左のリンク先からいける●spotwriteのmagoshinさんに先に賞賛されてしまったのがちょびっと悔しいです。何だこの独占欲は。

この作品の全体に満ちる空気が、メンソール系煙草のような爽やかさと毒っ気のある匂いに満ちていて、どうにも切なくなるなあ。
酒にタバコに女に殺し、って、お前等どう考えても子供じゃあないっしょ。とツッコミを入れて気がついたのは、酒やタバコや女に眼が無くて、そういう時間のつぶし方しか出来ない、生のけだるさというかかったるさを抱えたまま日々を食いつなぐだけの、いわゆる大人たちもまた、子供でしかないんだろうな、とか。
付き合いで足をはこんでみたら。


ORG_20080414000303.jpg崖の上のポニョ

監督・脚本 宮崎駿

制作      鈴木俊夫
cast     奈良柚莉愛
  土井洋輝




ぽ~にょぽ~にょぽにょ魚のこ♪

と口ずさむ子供等が一杯いて。
ああトトロの公開時もこんな雰囲気だったんだろうか、本来対象とされる年齢からは俺って15歳分ぐらい外れているんだろうなあ、下からも、まあ上からも、となった。

ジブリというか宮崎映画の新作って、まるで良く聞き込んだアーティストの新盤のように、あきらかな変化と、前作からの名残の両方が、均一に混ざり合おうとしながら自然な形で込められていると思う。じゃあ“ハウル”からの名残は何なんだって事になるが、それはもう、物凄くあった。世界観やら設定やら、緻密に固まっていそうなのに十分な説明が無いままガンガン話が展開していったり、物語の構造というか、セオリーとしての起承転結が巧妙な手段で解体されていて、あえて言うなら“起転転転結”とかそういう風になるけど。むしろそれが出来るのが素直にすげえなあ、アニメーションの力だよなあ、と思う。

「ハウルの動く城」では、やっぱりどうにも「映像手法としてのアニメーション」が「全体を統べる物語」と食い合わせ悪かったんじゃないか、というか、両者がまさに戦争していてしかも前者が負けていたんじゃあないのか、などと考えてしまうのは、この作品を構成する“動き”が、それだけ力強かったからこそそう思わせるのでしょうか。

e0e45e99.jpg監督
松尾スズキ

出演
佐倉明日香:内田有紀
焼畑鉄雄:宮藤官九郎
ミキ:蒼井優
江口:りょう
コモノ:妻夫木聡
西野:大竹しのぶ


……と、「17歳のカルテ」(原題:Girl,interrupted ジェームズ・マンゴールド監督 1999年米)について。

似てるって。
マジで似てるって。

鑑賞中ずっとこの2作の違いについて考えを巡らせてしまうほど似てるっての。だから「17歳のカルテ」と「クワイエットルームにようこそ」について。

精神病院の隔離病棟に、症状のまったく異なる患者を入院させるのってどうなんだろう。患者同士が軋轢を起こして、さらに症状を悪化させるだけなんじゃないのか。そこで繰り広げられる光景は、現実の精神病院に比べれば、まあ映画として誇張されてるはずだけれど、コミカルなのがシニカル。

質病を患った人間をネタとして使っていいんですか?という倫理的な問題も生じる。
「17歳のカルテ」は、真摯にこういう問題と向き合った映画だったと思う。
「クワイエット~」で一番気になったのがこの部分。何しろ「恋の門」の監督だし、嫌な予感が的中したというか、「お笑い」のネタにしてるよな、あからさまに。
コメディとしてこの映画をカテゴライズして欲しいんだろうか。それは無いと思うけど、精神疾患をコメディタッチに描くというのはあまりに鋭利な諸刃の剣で、相当慎重にうまく立ち回らなければやっちゃいけないとは思う。それを「やっていい」レベルに、この映画が至っていたかというと、今一歩だと思いますね、正直、ね。何が足りないかって、むしろコメディならコメディ、シリアスならシリアス、っていう割りきりが足りてない。「これはブラックジョークだぞ」と監督本人が思いながらやったってブラックにはならない。「サウス〇ーク」のやり過ぎっぷりを少しは見習ってくれと。

なんて、辛口に言い放っておりますが、主人公の周囲をめぐる人物像は大胆至極かつ繊細で、引き込まれた。文学っぽい、一歩引いたアンニュイな独り語りが、「クワイエット~」の核なんじゃないかとも思う。「一歩下がって眺めてみれば人間なんてどいつもこいつも滑稽なんだよ」っていう達観した視点が特に邦画には共通して潜んでいるけれど、それをここまで全面に押し出して主張する人は居なかったんじゃないかなあ。同時に、「何をえらそうに、作者のお前だってその人間じゃねーか」と反発したくもなりますが。

底が抜けたような「弱さのスパイラル」に陥った人間ばかり出てくるのが、それによって「人間ここまで弱くなれるぜ」っていうブラックな主張が、精神疾患というモチーフともあいまって、「クワイエット~」のテーマなんだろうなあ。文学っぽい。「17歳のカルテ」との最大の差異はそこだ。「17歳のカルテ」はまだ希望があった。アメリカンなプラグマティズムとオプティミズムだ。「ちょっと人と違うだけ」っていう。確かにこちらでは主人公の症状が比較的軽度の境界性障害でしかなかったけど。

最後に心理学をやっている関係で言いたいのは、「健康な精神」について。
「完全に健全な心」というのは、無い。ぶっちゃけて言うと、「健康な精神」も定義不能だ。科学的とかどうとか言う前に、本人が自分のメンタルを「健全」だと感じるかどうか、というのと、その時その時代の「社会」が、個々の人間をどう許容するか、社会的な存在としてうまく廻れるかどうか、という、至極曖昧な基準で判断する事しかできない。そういう意味じゃ、ある個人が「社会そのものが病んでいる」と感じてしまった時、その人は社会の側から「病人」として扱われる可能性を抱いてしまう。精神病院の隔離病棟は、社会にとって「適応できなかった邪魔者」を隔離しておくための都合のいい外部なのかもね。蒼井優の役が、それを見事に描いていた。

あと庵野秀明さん何やってんだ。役者は、向いてないって。
51f--UNTBxL._SS500_.jpg監督
堤幸彦

出演
井出野辰耶(ディノ):柳楽優弥
騎馬笑美子(ワラ):石原さとみ
柳元紳一(ギモ):田中圭
丹沢志緒美(タンシオ):貫地谷しほり
本橋阿花里(テンポ):関めぐみ
芦沢律希(リスキ):佐藤千亜妃



石原さとみの唇が。


唇はいいとして、やっぱりなんか少女マンガっぽいなあ、これは小説が原作なんだけどさ。

漫画の中で生まれた文法を映像に、特に実写に持ってきて通用するのか、となると、正直「う~ん」ってなっちゃう人なんだけど俺は。古いんだろうか。それ故にTVドラマとかでも「このシーンまるっきりコミックだなあ」という場面があると微妙に興ざめするんだけど。世間一般の話題についていけない人種なんだろうか。ていうか現実の中学やら高校生活で漫画的なノリを見せられると何も喋れなくなってしまうことが多々あったんだが。ノリが悪い人なのは先ず間違いない。

……と、いうテーマで突き詰めて考えたら、マンガっぽい物の中で、一番実写とソリが会わないのは「ギャグ」だと気付いた。二番目が少女マンガに出てくる「王子様キャラ」つまるところヒロインが思いを寄せる男。これは男女入れ替えて、少年漫画のヒロインでもアリ。主に「のだめカンタービレ」と「花より団子」で分析したんだけど。

こういう要素って、実写化するときは絶対セリフや人物造型をそのまま持ってきちゃダメだろう。なんていうか、「アク抜き」してやらないと。

でも、邦画を復活させた要素の一つが漫画作品のエッセンスであることは間違いないんだよね。それは、まあ時代の変遷とともに日本人のファッションセンスやヘアスタイルが漫画の文法というか、ダイナミックなモードと親和性の高いものに変わっていったからというのもあるけど。下妻物語(観た)とかNANA(観てない)なんかが成功例ではないでしょうか。



また完全に脱線しているので、しかも前述したけが原作は小説なので、それはともかく、この作品の核になる部分の「包帯」だけど。このちょっとメンヘルな舞台設定は、思いつきそうでなかなか思いつかない。似たようなものを自分も昔考えた事があったけれど、それはあくまで似ているという程度で。写実的手法では拾いきれないような、登場人物の内にある「痛み」を、一番手っ取り早く視覚化してしまえる方法ではある。痛みと傷の記憶とともに、それが癒えて行く過程を連想させる、センチメンタリズムと言っちゃえばその通りなんだけど、そこにもう一つ、「淡い、芽生えたばかりの希望」みたいなものが加味された、摩訶不思議なアイテムだよなあ、と。俺だったらあの場所に巻くだろうなあ、とか。

そんなすばらしくよく出来た包帯というモチーフは、けれどもリアルでシリアスなモチーフだったために、コミカルな部分とはあんまり相容れないんじゃないか、と思ったけど、コミカルにしなけりゃひたすら暗い物語になりそうな気もする。群像劇風に仕上がってはいるけれど、やっぱりベースが少女漫画な感じだし。

「葬式」のシーンは、グロテスクだよ、サラッと流れてゆくけれど。心理学をかじっている関係で、こんな話を聞いたことがある、「あっさり口に出して語れるようなトラウマなんてものは実在しないが、そういうトラウマ的物語が人によっては必要」なんだとか。

晩秋から初冬にかけての乾いた空気と、シアンの空に包帯の白が映える。

静かなトーンの青春映画って多いなあ、最近。

一番心に残ったのはオープニングのモノローグだった。
あんなことを思っていた時期が、確か俺にもあったな、と。
15,6歳位の歳で観れば良かったのかもしれないが、物理的に無理じゃん。
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