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1985/06/19
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(アット)hotmail.com
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監督
マイケル・アリアス


クロ・イタチ:二宮和也(嵐)
シロ:蒼井優
木村:伊勢谷友介
沢田:宮藤官九郎
ネズミ(鈴木):田中泯







鈴木さんのキャラ良いわ。

そういえばアニメ映画についてまともに書くのは初めてになるのか。
映像表現としてのアニメーションについて感じるところも色々書きたいが、手塚とかウォルトディズニーについて書いてるうちにフロイトや神道にまで及びそうなので、またの機会でいいや。


大分前にTVで、この作品のCFを観た。”世界に誇る日本アニメがなんたらかんたら”っていうキャッチコピーの。そういうのが流行ってた頃だ、しかし。実際に鑑賞しに行って10分と経たないうちに思った。おいおい、とつぶやきそうになった。口だけはその通りに動いてたんじゃないか。

思ったのだ。

これは……ウケ悪いだろうなあ…

と。

この世界観で任侠劇っておいおいおい。

鉄パイプで殴り合いかよ。(実は違ったけど)ヤクザの抗争話かよ。

アニメで。

キモカワ系の絵柄で。


もう、なんていうか、事前に情報を仕入れずただの娯楽映画だと思って観にいった自分としては、気まずいというか、それもあったけれど、至大に別の疑問が脳を支配し始めた。つまり、この監督は一体どんな客層を想定してコレを映画化しようと思ったのか。わけわからん、と。

まずファミリー層には無理。絶対無理。血とかバンバン飛び交ってるし。

カップルにも無理……かどうかはそれこそ人によるが、気まずくなるのが普通じゃないか。

任侠劇が好きな人はそもそもアニメ映画観に来ないだろう。

普段アニメばっか観てる人はまずもってヤクザのシマ争いとか拒否反応だろう。


ただ、まあ、そんな野暮な事は気にせず自分が楽しめばよかっただけなんですがね。
ジャンルや媒体の壁を壊す、とか、乗り越える、みたいな文化のボーダーレス化、インターナショナリズムは、つまり「このジャンルのコレをこっちのカテゴリーにツギハギしてみた!」ってのは、それ自体が時としてセールスポイントになったり観客にインパクトを与える手段ではあるのだけど、それだけ、それがウリです、という事になると結局一発ネタでしかないし、実は少しも新しくないと思うんだ。古くは19世紀末のヨーロッパ、主にフランスで、世界の美術から学ぼうという運動の中から生まれたジャポニズムやシノワズリーとか、ブラックアフリカに影響されたピカソのキュビズムとか有名だし、最近だとネタに詰まったハリウッドが日本や韓国のヒット作をリメイクしたり。文化芸術的な媒体が過度に様式化して行き詰ったとき、必然的に新しいものを求めて足掻きながら、その様式の外側に別のエッセンスを求める事はしょっちゅうだ。アニメって行き詰ってんのかな、そうは見えないんだが。

そしてまた逸れている、話が逸れている。古くは~のあたりからか。



早い話が、アニメで任侠劇をやる必然性って何だ?って事だけど、実はコレ、その必然性をすごく感じられる作品だった。ナチュラルに、全然アリだな、と。


タランティーノのKillBill観れば(問答無用で)分かるけど、アニメーションで表現される暴力は、実写よりもずっと鮮烈で攻撃的になり得る。この泥臭さ、胡散臭さ、湿りきった空気は。ある意味リアルな「無垢」を本当に生々しく描いてしまったシロというキャラクターの造型は。「オトコの生き様」みたいなものをここまでガッツリ主張してしまう脚本は。考えれば考えるほど、この最先端なデザインセンスと噛み合わないはずなんだけど。
誰がどう見ても宝町のモデルである「大阪」っぽいイメージの洪水がそれを可能にしてしまうのか。「千と千尋の神隠し」あたりにも通じる、アジアなイメージを増幅させるためのガジェットや建築物のデザインのこの量的な「過剰さ」は、流行ってるよね。ていうか、流行っているのはアジアじゃなくてデザインの「過剰さ」だと思うけど。

2時間半の映像に詰め込めるだけの「デザイン」を詰め込みました、というのは、ハリウッド製の半CGアニメ(つまりSWとかMATRIXとかLOTRとか)でもそうだけど、ストーリーや演技を観るうえでは「ノイズ」と化しているだけで、それら「デザイン」に気をとられると猛スピードで美術館を駆け回ってるような滑稽な感じがするんだけど、個人的には。

映画にかけられる制作費が、動員数と興行収入が、映像制作の効率性が、120~180分という上映時間で消化されうる限界を、とっくの昔に上回ってるんだろうな、と思うと、途端に作品からカネの匂いがぷんと漂ってきますよね。俺だけか?

ともあれ、この作品は、そんなある意味最先端の映像を媒介として、古い任侠映画のエッセンスを再帰的に表現しているのが面白かった。あまりにあからさまなガイジンコンプレックスはどうなのかとも思うけど。
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無題
去年の夏、中学の友達と突然海に行って、
足をケガして血を流してクラゲに刺されて、
牛丼食ってビール呑んでぐったりしてる中、
この鉄コンを見せられて、
疲れてるのに目が離せなかった思い出が、強く残ってます。

最後の方とかもう、完全にデザインのみですよね。
だがそれゆえストーリー以上に脳裏に焼き付いてる。
古典的なものと新しいものの、極端なまでの折衷具合が、
これの面白さなんですかね。
とりあえず音楽が僕の好きなテクノユニットPlaidなんですよ。
ニシカワ URL 2008/05/13(Tue)03:21:28 編集
無題
ボロボロに疲労した後って些細な事でも記憶に残りやすいのかなと思う。泥酔後のカップ麺の味だとか。

終盤のほうは、なんていうか、とうとう映像描写の手法までもが説明を放棄してテーマと脚本を囲い込む“デザイン”に走りまくっていて、どんどんシンプルに力強くなっていく感じがしましたよ。写実性というか、背景があって人物がいて口をアニメーションさせてセリフをかぶせる、っていう、あくまで実写映画的手法の“ワク”のなかでデザインされていた前半に比べて、ずっと製作者の創造性が反映されていたと思います。

…音楽は…エンディング以外全然覚えてないけれど。
YAHAGI 2008/05/16(Fri)01:21:07 編集
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