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最近就職関係の情報をネットで漁っている。
漁っていると、まあ、昔からよく聴く話が、つまりブラック過ぎて笑い飛ばせないジョークのような話をちょくちょく見かける。確か高校3年になった直後も似たような事してました私。その時と殆ど状況変ってないね。

そんな中でふと、思い返す。マスコミ中心に数年前に話題になった、

“会社とは誰のものか?”

という問いを。
確かホリエモン騒動の折だったと思うんだけれど、昔の自分は即答してた。特定の誰かに聞かれたわけでもないのに、こう呟いておりました。

“社会と国家のモノだろ”
と。

それは多分、“投資家のモノだ”“社員自身のモノだ”という決まり文句への反感を抱きつつ、という面もあったかもしれないけれど、また違う側面からは、一つ確信している事柄があった。

商品価値というのは、結局、生活の中で位置付けられるものなんじゃないかと思うのだ。
株主や金融業界が何を策謀しようが、実体経済の駆動抜きには企業活動はあり得ない物なんだし。

一つの商品が、サービスが、如何に価値を持つかというのは、結局消費者(と、呼ばれる人々)が決める事だ。
多少飛躍するかもしれないが、何かを買う、対価を支払って、自己や環境を、ライフスタイルを作り変えようとする事は、つまり未来を志向することに他ならないと思う。
未来の生活をどうしたいか、商品価値とはそれに尽きるのだ。

その3次的な欲望は、当然消費者イチ個人の中で完結するものじゃない。社会全体が、どんな将来を欲するかに関わっている。

一般に経済的に成熟しきった国は、GDP成長率も殆ど横這いで推移すると言われている。だから、退廃的で墜落した欲望が顔を覗かせる。そういう時に、企業はそれに逆らう権利など持ってはいない。そういう人々の欲望に答えるのもまた、企業の、社会の中での役割なのだ。未来を思い描けずに、その場その場の刹那的な欲に身を任せる人間が増大し続けたとしても、それは企業の責任ではない。

けれども、本当の意味で経済が駆動する為には、つまりいわゆる“好景気”のためには、新しい未来観の提示が不可欠なのだ。こういう生活をしてみたい、こういう世界があったらいいなあ、と、人々が夢想する未来のその中にポツンと1つ置かれている、そんな商品が求められるんじゃないだろうか。いわゆるブルー・オーシャン戦略ともちょっと被るけれども。

そして、なにもそんな未来間を人々が自動的に抱くのを待つ必要なんてない。これまでもそうだったように、企業自身が新しい未来のあり方を提示すれば良いのだ。それがコマーシャリングであり、メディアの訴求力なんじゃないだろうか。

P・H・ドラッカーが、「日本人は知識を生産性に昇華する能力が高い」と『ポスト資本主義社会-ダイヤモンド社』の中で指摘していたけれど、まあ結構古い本なんだけど、それは何故かって、技術=価値ではなくて、価値が何に依拠するかを、“生活”を中心に捕らえる能力が高かった為なんじゃないかと思うのだ。



……う~ん、こういうネタ書くほどには切羽詰っているというか、かなりパリッとしてます。
何しろ、同世代の友人知人が、ほぼ全員社会人、しかも企業人なもので。
会社止めて程ない奴、入ったばっかりの奴、気張り過ぎて体壊す奴と、色々おりますけれど。
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