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1985/06/19
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23 2017 / 03
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51da-GKj5KL._SS500_.jpg
監督
マイケル・アリアス


クロ・イタチ:二宮和也(嵐)
シロ:蒼井優
木村:伊勢谷友介
沢田:宮藤官九郎
ネズミ(鈴木):田中泯







鈴木さんのキャラ良いわ。

そういえばアニメ映画についてまともに書くのは初めてになるのか。
映像表現としてのアニメーションについて感じるところも色々書きたいが、手塚とかウォルトディズニーについて書いてるうちにフロイトや神道にまで及びそうなので、またの機会でいいや。


大分前にTVで、この作品のCFを観た。”世界に誇る日本アニメがなんたらかんたら”っていうキャッチコピーの。そういうのが流行ってた頃だ、しかし。実際に鑑賞しに行って10分と経たないうちに思った。おいおい、とつぶやきそうになった。口だけはその通りに動いてたんじゃないか。

思ったのだ。

これは……ウケ悪いだろうなあ…

と。

この世界観で任侠劇っておいおいおい。

鉄パイプで殴り合いかよ。(実は違ったけど)ヤクザの抗争話かよ。

アニメで。

キモカワ系の絵柄で。


もう、なんていうか、事前に情報を仕入れずただの娯楽映画だと思って観にいった自分としては、気まずいというか、それもあったけれど、至大に別の疑問が脳を支配し始めた。つまり、この監督は一体どんな客層を想定してコレを映画化しようと思ったのか。わけわからん、と。

まずファミリー層には無理。絶対無理。血とかバンバン飛び交ってるし。

カップルにも無理……かどうかはそれこそ人によるが、気まずくなるのが普通じゃないか。

任侠劇が好きな人はそもそもアニメ映画観に来ないだろう。

普段アニメばっか観てる人はまずもってヤクザのシマ争いとか拒否反応だろう。


ただ、まあ、そんな野暮な事は気にせず自分が楽しめばよかっただけなんですがね。
ジャンルや媒体の壁を壊す、とか、乗り越える、みたいな文化のボーダーレス化、インターナショナリズムは、つまり「このジャンルのコレをこっちのカテゴリーにツギハギしてみた!」ってのは、それ自体が時としてセールスポイントになったり観客にインパクトを与える手段ではあるのだけど、それだけ、それがウリです、という事になると結局一発ネタでしかないし、実は少しも新しくないと思うんだ。古くは19世紀末のヨーロッパ、主にフランスで、世界の美術から学ぼうという運動の中から生まれたジャポニズムやシノワズリーとか、ブラックアフリカに影響されたピカソのキュビズムとか有名だし、最近だとネタに詰まったハリウッドが日本や韓国のヒット作をリメイクしたり。文化芸術的な媒体が過度に様式化して行き詰ったとき、必然的に新しいものを求めて足掻きながら、その様式の外側に別のエッセンスを求める事はしょっちゅうだ。アニメって行き詰ってんのかな、そうは見えないんだが。

そしてまた逸れている、話が逸れている。古くは~のあたりからか。



早い話が、アニメで任侠劇をやる必然性って何だ?って事だけど、実はコレ、その必然性をすごく感じられる作品だった。ナチュラルに、全然アリだな、と。


タランティーノのKillBill観れば(問答無用で)分かるけど、アニメーションで表現される暴力は、実写よりもずっと鮮烈で攻撃的になり得る。この泥臭さ、胡散臭さ、湿りきった空気は。ある意味リアルな「無垢」を本当に生々しく描いてしまったシロというキャラクターの造型は。「オトコの生き様」みたいなものをここまでガッツリ主張してしまう脚本は。考えれば考えるほど、この最先端なデザインセンスと噛み合わないはずなんだけど。
誰がどう見ても宝町のモデルである「大阪」っぽいイメージの洪水がそれを可能にしてしまうのか。「千と千尋の神隠し」あたりにも通じる、アジアなイメージを増幅させるためのガジェットや建築物のデザインのこの量的な「過剰さ」は、流行ってるよね。ていうか、流行っているのはアジアじゃなくてデザインの「過剰さ」だと思うけど。

2時間半の映像に詰め込めるだけの「デザイン」を詰め込みました、というのは、ハリウッド製の半CGアニメ(つまりSWとかMATRIXとかLOTRとか)でもそうだけど、ストーリーや演技を観るうえでは「ノイズ」と化しているだけで、それら「デザイン」に気をとられると猛スピードで美術館を駆け回ってるような滑稽な感じがするんだけど、個人的には。

映画にかけられる制作費が、動員数と興行収入が、映像制作の効率性が、120~180分という上映時間で消化されうる限界を、とっくの昔に上回ってるんだろうな、と思うと、途端に作品からカネの匂いがぷんと漂ってきますよね。俺だけか?

ともあれ、この作品は、そんなある意味最先端の映像を媒介として、古い任侠映画のエッセンスを再帰的に表現しているのが面白かった。あまりにあからさまなガイジンコンプレックスはどうなのかとも思うけど。
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とりあえず、鑑賞したり読んだりした「本」「映画」「音楽」は、極力それについて書いてみようと思います。

51fvaI3hDDL._SL500_AA240_.jpg善き人のためのソナタ
原題:Das Leben der Anderen
出演:ウルリッヒ・ミューエ
マルティナ・ゲデック
セバスチャン・コッホ
ウルリッヒ・トゥクル





米アカデミー賞の外国語映画賞の受賞で話題になった映画を(レンタルですら)大分遅れて観た。
この作品のCFを昔見て、設定やなんかに興味を引かれはしたんだけど、

「それを本気で聴いたものは、悪人にはなれない」

とか、そんな感じのコピーが出てきたので観る気をなくしてそのままだったんです。なんだよ「悪人にはなれない」って。でもこの言葉、レーニンが言ったものを引用しただけだったらしい。

ドイツ映画はシックな、というか、すごくいい意味で「型にはまった」美意識のもとにデザインされたような、落ち着いた、落ちすぎて地の底に着いてしまった感じの色使いが良い。ドイツ人って、普通は滅多に中間色をデザインに使いたがらないらしいね。伝聞ですが。
女優が脱いでても全然エロくない。それもまた現代ドイツ映画の特徴なんだろうか。

この作品は、多分観る人によっては、取り分けハリウッド的勧善懲悪劇に慣れちゃった人には、東独の政治体制を批判した西側万歳映画で、主人公(ヒーロー)はドライマンで、クリスタは悲劇のヒロインで、尊い(ネタバレ)なんだろうが。
そういう自国の体制を礼賛したイデオロジスティックな映画って、つまりアメリカマンセー映画の原点って、ナチス時代のプロパガンダ映画がそれに当たるとも言われているんです。関係性を破る物語にカタルシス的演出を付与した(ちょっと前までの)ハリウッド的物語のルーツはナチスの映画だ、と。そういう受容のされかたによって、アメリカでアカデミー賞を受賞したんだとすれば、それはそれで滑稽な気もするけど、考えすぎか。

でもまあ、世界最古の映画史を持つ国の一つであるドイツにとって、ナチス的なプロパガンダムービーは70年前に通った道のはずなんで、政治的な視点を入れずに観ようと極力つとめていました。というか、舞台設定を現代に置き換えても大筋の物語はやれそうな気がするんだけど……通信傍受法とか。エシュロンとか。

以下ネタバレ
さむい。
寒いほんとに寒い。
10時間でも20時間でもベッドに潜っていられそうだ。

これだけ寒くて得をする事といえばまあ、コーヒーがうまい事ぐらいしかない。
どれだけ水っぽくても粉っぽくても、そのぬくもりを両手で握り締める悦びに浸っていると、なんというんですか、物理的温度の電気的刺激でここまで落ち着きを取り戻せるんだ、という事実によって、メンタリティは逆にクールダウンするからなんでしょうか。

そういえば、実家にはコタツが無い。
アパートにも無い。
今年はどうやってこの寒気をやり過ごそうか。

あ~温泉とかいきて~な~。
そんな思考が頭をよぎり、ふと思うが俺はひょっとしたらもうオッサンなんじゃないのか。ヤバイヤバイヤバイ。

こんなに寒いともう必要な用事以外はおウチに引きこもって複製防壁を破りんぐした活動写真の焼き増し鑑賞ぐらいしか出来ないなあ、というくだりを書き足す事で強引に。
ひと月以上前の映画レヴューの続きがやれるわけですが。

DVD、というか光学メディアの立ち位置についても同時に考えてみた。
けしてリッピングの言い訳ではない。

opt1.jpgopt06.jpg







これって相当昔に発表されてたオプトウェア社のHVDとかいう実証段階規格なんですが。
ホログラムの原理を使ってディスク面に縦にデータを書き込んでいて、一枚当たり1TB(テラバイト=1’000ギガバイト)の記録容量を持つんだとか。と言っても最後にニュースになったのが2年くらい前だから、今どうなってんのか知らないけど。

世の中にはスーパーHDとかいう、解像度が横だけで7000ピクセル以上あるアホみたいな規格もあるらしいので、こんな大容量ディスクにも使い道はあるのかもしれないが。

あとは、連続ドラマだのアニメだのをフルHD画質で一枚に全話収めておくとか。それ以外となると、HDDのデータのバックアップぐらいしか使い道が思いつかない。HDDのバックアップにしたって、自作動画なんかやってても1TBも使うわけねーよ、という事になる。こんな事言うと、BDだとかHD-DVDのデベロッパーに大変申し訳ないが……

光学ディスクメディアに未来はあるのか?

HDDもフラッシュメモリもどんどん大容量化してるし、耐久性も高くなっている。iTunesで映画も買えるし、ストリーミングでの映像配信サービスも拡大し続けている。CDもDVDも焼きたい放題だが、普段スピーカーにつなげるのはiPodやなんかのポータブルオーディオだし、世界中の計算速度がフラットに流動化している時代、どれだけ複雑な暗号化技術も破られるのは時間の問題だし。

光学メディアの最後の砦は保存性と、手に持って確かめられるモノ、という所有感ないし安心感ぐらいじゃないのか。


で、気付いてみたら、その所有感のために結構なお金をはたいている自分の存在に気付いてしまったり。本作は買いそびれたままだけど。

次世代ディスクが登場してるご時勢に¥4000とか¥6000とかで平気な顔して売るなよ、というのはでも確実にある。
以下本文。
51P1KAQSVBL._SS500_.jpg






51P1KAQSVBL._SS500_.jpg監督 / 黒沢清
出演 / オダギリジョー
浅野忠信
藤竜也
りょう








「夢の中で、未来はいつも明るかった」

もう一度観たいと思っても大学前のTSUTAYAには置いてないので、小田急線使ってようやく発見。

6年ぶりに鑑賞後、泣きそうになった。
「感動した」なんつー手垢まみれの言葉なぞ使いたくは無いのだが、心を揺り動かされる何かが確かにあった。

…これが思い出補正という奴でしょうか。


「アカルイミライ」というタイトルが完全に罠というか、引っかけなのだが、明るい映画じゃあない、少しも。

この作品、封切られたのが確か2001年なんだけれども。
小泉政権初期の頃は凄かった。何がって、日本終末論が。
失業率8パーセントとか。失われた十年とか。GDP成長率がずっとマイナスだとか。アルゼンチンがデフォールトで破産国家になって、日本もとうとう預金封鎖だのIMFだの大分騒いでいらっしゃいました。日本発の世界恐慌とか、色々言われておりました。

自分は当時16歳で、最初の高校を退学したばっかりの頃でした。
ベンジャミン・フルフォードに釣られていました。「日本経済が破綻したらIMFの存続そのものが危ういだろ!」と、2ちゃんねるで一人吠えておりました。IMFが何の略称かも知らずに。

あの頃は本当、未来が明るいとは到底思えなかった。
…いや、ちょっとニュアンスが違うかな。
例えアカルイとしても、それが肯定的に捉えられるものではない気がしていた。

現状、今現在での自分にとっての未来というのは、どうだろう、明るいとも暗いとも分からん。
そしてぶっちゃけ、それがベストだと思っている。先のことなんぞ分かるものかよ、というスタンスが重要なのだと。分からないからこそ、未来に投資するというか、何がしか備えておく努力のモチベーションになりえるので。当時、自分にはその事が全く分かっていなかった。

明るかろうが暗かろうが、つまり、良い大学出て企業の重役に上り詰めようが、日雇いのいわゆる「底辺」の暮らしを強いられようが、そのどちらにも価値があるとは思えなかった。女にモテて良妻を娶ろうが、一生独身だろうが、両者にそれほどの違いがあるものかと考えていた。要するに、なんていうんだろう、何かを得ようが、失おうが、すべてに1度きりの機会しかなくて、結局どっちの道へ進もうが、絶対に後戻りだけはできない、ならどっちもかわらねーよ、という、異常に切羽詰った感覚。

……いや、まだ16歳のボウヤなんで、シラケて何か悟ったような気になってるのは仕方が無い。黒い青春て奴です、未来なんて、明るかろうが暗かろうが、ただ磨り減っていくだけだと。あと、当時の社会状況も少なからず影響しているのだろう。
アカルイイミナイ。


だが今じゃ、「私にもそんな頃がありました」という程度の、昔話である。
これがリアルフューチャーである。カルイミライ。

この作品を手に取ったのは、何となくパッケージの水槽とクラゲに引かれたから。
あと、カタカナで「アカルイミライ」という、どこか皮肉交じりのタイトルに、
一種スノビズムのようなものを感じたからだろうと思う。そう記憶している。

ちなみにこれを書いたのはネット復帰前なので中々つづきが書きづらい。
本編の感想は次回にでも。
08 2007 / 10
浅野忠信。
ざっくばらんにあらゆる役にハマっているようで、その実独特のオーラで「ああアサノだ」とすぐバレてしまう役者ではありますが、この[Focus]では最初誰だか全く気付かなかった。
まるで能でも観ているような、限界まで抑えた演技をする役者だと思うんだけど、それがこの作品の役柄と完全にマッチしていたからでしょうか。


21JWFRPMC7L._AA140_.jpg[Focus]
監督 井坂聡

出演 浅野忠信
白井

ストーリーだけ見たら完全にカルト映画だ。
いやそもそもがカルト映画なのか。
ただ、その流れを見せる手法が斬新かつ完全に一貫しているから、なんかB級映画とは呼びたくなくなるんだよ。
ある意味、一発ネタ。
だが手を変え品を変え、たった一つの角度からの視点を驚かせてくれる。

冷たく渇いたフリをしている、ぬるくジメジメした空気が。
演出された演出とリアル、演技される演技と素の顔。
それらも含めて、なんつーか全体的に、90'sなカオリ。
当たり前か。
当時に置き忘れてきたフィルムを偶然見つけて、「ああそんな時代でしたなあ」と、別に懐かしむでもなく、むしろ苦笑いを浮かべる事が出来る、たとえばそういう映画。

1カットの長さである種の迫力が作り出されています。
最近の映画って編集しまくりでなんかちょっと萎えるんだよね。

1996点。
柄でもない映画を観てしまった。
なんとなく「最近の邦画でも借りてみるか」と。

そう言えばTVCMやってた当時、何となく興味は沸いていた気がする。プロデューサーだけど岩井俊二も関わっているし。が、しかし劇場で観ると、高く付く。その上、余計な出費も伴いがちである、結局スルー。なんかすげー普通のよくありそうなタイプの作品だったんで、そういうことは良くある、だって少女マンガみたいなタイトルだし、ていうか、
市原隼人が出てるし…。

41CHVmKJ28L._SS500_.jpg虹の女神 Rainbow song

監督   熊澤直人
出演   市原隼人
     上野樹里
    蒼井 優
     佐々木蔵之介
     相田翔子


  
例のセカチューが出たあたりから邦画にもセカイ系の匂いが徐々に立ち込め始めて、多分これもその流れを汲んでるんだろうな~と思っていたら、序盤でいきなり○○○○が起こりました。
嗚呼ヤッパリ。
そのちょっと後のシーンで、いきなりホルストの『jupiter』が流れ出す。
置いていかれる。唖然とする。なんでこの曲なのよ?
恋愛映画に組曲惑星から木星。まあ合わなくもねえかな…。
鑑賞後に思ったけど、この微妙な違和感は狙ってやってたんだろうか。

ひょっとしたらば、今後半年くらい、
「木星」にはこの映画のイメージが付きまといそうだ。

虹かぁ~
巨大隕石かぁ~
7点。

言ってみれば良作です。本ブログの点数は作品の良し悪しとは全く関わりがございません、ご了承のほどを…。

※以下ネタバレ



それって航空機史上に残る大惨事じゃん、しかもデスバレーですか、みたいな飛行機事故で、死んだくせに遺体に損傷が少ないとかいう台詞があったり、初代GB並みの頑丈さを持つ携帯電話だったり、主演の二人が抱き合うと、いかにもCGな虹が水面に反射していたり、するのに、何だろう、このリアリティ、何?

思ったが、飛行機事故を自動車事故に置き換えてもストーリーに影響なんて全く出やしない。
にもかかわらず飛行機事故なのは、アレだ、

これが所詮は作り話、映画の中の物語だからだ、うん、そうだろ。

だったら巨大隕石でも地球滅亡でもオッケーだろ?
というのが、あの劇中劇なんじゃないだろうか。

始終男の視点で記号的に描かれる本編とは対照的な、あの話が、ヒロインの主観として一種シュールリアリスティックな手法で描かれ配置されている。という事は、この本編も、それ自体が上映される現実に対して同じメタ構造を持ちうるわけで。
それが意図されていた物かは知らないけれども、誇張された現実は創作であって創作ではない、みたいな、事を示唆している。そんな気にさせてくれる、劇中劇というのは、毎度毎度。

まあ、んな事は昔から散々言われつくしている。
ので、本編のリアリティについて。

市原隼人にぴったり、今風のフラフラした、未熟で未発達な若者。
記号的でステレオタイプな主人公。
ヒロインが拾ってくれなかったらお前ニートだったぞ。
男として最悪の態度ばかり。でもリアルだ。
リアリティ感じる俺がひょっとして最悪なのか。

相田翔子扮する自称26歳実は34歳の女。
リアルだな~居そうだよなこんな女。ていうか居たよこんな女。俺は全然関わらなかったけど。

制作会社の現場。佐々木蔵之介演じるプロデューサー。
まあ、ありそうだ、居そうだ、知らないけど。全体的に。

でも一番リアルなのは。
あれだ、大概の人間は一人で死ぬっていう、しかも物理的にだけじゃなく、本当に一人のまま死んじゃったという事実を突きつけられる事ですか。
ちょっと若すぎるけど、歳は多分関係ない。歳は関係ないって、そういえばそんな台詞もあったか。主役の二人が歳のわりに凄く幼い。

劇中劇のラストと、本編の結末のギャップ。
でも一人ではなかったかもしれないという、
虹のような、創作のような、淡い希望。

すごい、リアル。
泣けるほど。

ところで鈴木亜実は何処に居たんだよ。
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