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1985/06/19
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26 2024 / 04
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26 2008 / 04

シムシティにハマっていました。
しかもDS版の一作目です。
人口50万人行ったよ、と言っみたところで、それが一体どの程度大変なのか誰も知らんのでしょうが。

こんなものも作っていたりした。walp.jpg








自作の壁紙です、一応。
CGなんて今やあらゆる映像媒体で見慣れた時代にあって、しかし、自分でモデリングして配置してライティングやカメラワークを設定して……レンダリングされ表示されたこれを見て、思わずこう、ため息が漏れると言うか、ホレボレしてしまう。

上記のようなちょっと90年代のNHK教育に出てきそうなシンプルな3DCGが、ネットとパソコンさえあれば、さらに操作さえ覚えてしまえば、ものの30分で作れてしまうのが現代です。それもこれも、Blenderという、元々は営利目的で開発されていたツールが、紆余曲折あってフリーウェアとして、しかもオープンソースで配布されているからで。それ以外にも色々とフリーソフトのモデリングツールは存在するのだけれど、自由度と精度に関しては業務用ソフト並みの性能を持っているらしいです、コレ。

すごく木材っぽいだろう、どうだ。

……しかし当たり前である、実際に木材の写真を貼り付けているのだから。
数年前から「最近のCGはリアルになったね」という言葉をよく耳にするが、それも当たり前で、現物の写真をテクスチャとしてペタッとやっただけだったりしたからね。

それでもやっぱり、美しいんだ。この無機的な質感がなんとも。テカりかたとか。
日本の場合は主に非常にオタッキーな理由でモデラーが増えているらしいが。俺はわざわざ人間をモデリングしようなんて気は起きませんのでこういう、作業量の少ない無機物っぽい感じのCG映像を製作中です。Blenderには物理エンジンも搭載されているので、重力効果や摩擦力を上げたり下げたりしながら、上映会には当然間に合いませんでした。木材は有機物です。

大学が始まったのだが別にいつも通りで特筆すべき事もなかったりとか。兄妹3人が全員私大生になったんでバイトでも始めて仕送り減らしてもらおうかと思案してみたりとか。
本も映画も音楽も手当たり次第手をつけてはみるものの、それらに対する感情、思考を文章化しようとすると結構労力を使ううえに、大概納得のいかない形にまとまってしまったりとか。
時間さえあれば全部ココに書き留めておきたいのだが。

マリオカートWiiにもハマっていたりとか。
CMのあのコントローラーは、一人でやるぶんには楽しいけど、対戦ではまずGCコンの相手になりません。そんなバランスで付属してよかったのか。
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05 2008 / 03
季節の替わり目なのか。
寒さと暖かさが入れ替わりにやってくる今日この頃。

強風が吹いて、それが微かに湿り気と土のにおいを帯びていると、ああもう春になるな、と毎年思う。
そしてマルメラが吸いたくなる。
火を点けると条件反射的に、もうそろそろ忘れたい記憶が想起される。

この街に帰ってくると、何かこう、ドメスティックで、円環的な「日常」を感じる。
生まれ育った場所で家族もいるんだから当たり前なのかもしれないが。

それが嫌だとは(もう子供じゃないので)あえて言わないけれども、ある時期を境に、何かまがい物のような、木目調に色付けしてあるくせに実はプラスチック製の弁当箱のような、誤解を恐れずに言えば人工的でイデオロギー的に繕われた「日常っぽさ」「平和な街っぽさ」を俺に向かってかもし続けていやがるので、実は本当に単なる郊外の平和な町だと気づいてはいるのだが。
気力を抜かれるというか、バイタリティを吸い取られてしまうんですよ。
昔、妹が毎週見てた「サザエさん」が凄い嫌いでした。


実家にいると碌にやることがない。

TVGAME→読書→独書→ヴィデオゲェム→讀書

体調崩していたから、というのもあるがしかし、
結局外出先でもゲームか読書。DSとPS2とwiiが満遍なく稼動している。
そこそこ蔵書量のある市立図書館に徒歩3分で行けるし、PCは親が仕事に使う。

暇つぶしのために中古屋で古いゲームをあさったりとか。
ゲームしまくり。
ぶっちゃけこれは怠惰と言える。
その可能性が極めて高いかのように思われる。

いや、でも「もっと英語漬け」とか「TOEICTEST」とかで勉強もしたし…
スロットはやらなかったが「アツい」とか「鉄板」とかの用語も覚えたし…

DAIKEIENは中々面白かったです。
市川にある、たぶん全国でも有数の面積を誇るゲーセンだと思うんだけど。
カオスでアングラな感じが。
何がって、だって。

大慶園。
http://www.daikeien-mgp.com/

セスナ機の格納庫かよ、と思うようなでかいガレージ倉庫を4つか3つ並べて、そこに数限りないACゲーム、メダルゲーム、ガチャ、ダーツ台、ビリヤード代、果てはゴーカート場やらバッティングセンターやらカラオケボックスまで詰め込めるものは何でも詰め込んじまえ、という豪快な経営思想。建物の入り口に馬鹿でかい石油ストーブが轟々唸りをあげる、ただそれだけ、というアナクロでワイルドな暖房設備。

結構人が入っているはずなのにスカスカに感じるのは無駄に天井が高いせいなのか、それともスペースの取り方がおかしいのか。

「ここは亜米利加かよ」サイズの建造物は、印西・八千代のショッピングセンターなんかがいろいろあるけど、まあやっぱり、市川・船橋も、駅をちょっと外れると田舎な所は本当に田舎だ。
そしてこういうアングラな田舎さは大好きだ。
山梨は甲府市のドンキホーテも凄かったが、負けてないです。

もうそろそろ帰ります。

まあ本当は色々有ったしね。
10 2008 / 01
平成も遂に廿年目を迎えました。

年もアケマシテオメデトウゴザイマス。

略してアケオメ。

さらに略して

アメ。


年末年始の行事。

同窓会的な、よく分からない集会でよく分からない駄弁り。
こういう空気が好きだ。

生後一年半になる、タメの友人の子供を抱いた。
ヤバイ可愛い。
子供をここまで可愛いと思ったのは生まれて初めてかもしれない。
自然に顔がニヤつく。

大晦日の夜は津田沼のゲーセンで友人のメダルを100枚ぐらい全部スッていた。
突然店員がクラッカーを配りだす。
鳴らすものか否か、年が明けた後に10秒ぐらい考えてからやっぱり鳴らす。
その後64版スマブラを3人で延々とプレイする。

年が明けた。
お年玉なんてものをいまだに貰っているのだが、
今年は遂にあげる側にもなってしまった。

成田山新勝寺に初詣に行く。ヒトが一杯いたことしか記憶していない。

アパートにたどり着く前に飲みに誘われる。
インフルエンザをうつされそうになる。

年末年始は思考が完全停止していた。
実家の暖房は利き過ぎる。

今年の抱負は”アウフヘーベンaufhebenする”

相変わらずこんな調子である。

椎名君にタダで頂いた鼠のライター、オイルが切れました。

年末年始という行事があったから、なんて理由で文章を書くとこんな始末。

俗世のイベントは自分にとって人付き合いのうちのものでしかないようだ。

だが、人付き合いそのものが占めているウェイトが、大学入学以降限りなく増大する傾向にある気がする。
だからといって付き合いそのものが増えるわけでもないのだが。

今年はもっと文章と向き合おうと思う。
読むにしろ、書くにしろ。

特に書くという作業をするにあたって。

恐らく、去年までの自分は無責任に思いついた言葉をポンポン言い放つ傾向が高かった。

分かりやすく伝える、説明するといった努力を根本的な部分で放棄してしまう傾向が高かった。

「筆者が、どれだけ論理的だと思って書いた文章も、読み手によっては所詮”詩”のようなものでしかないんだ」

という、突き放した態度。

これは、端的に言って、ヒジョーに不味いなあ。
よろしくないなあ、と。

パロールとかエクリチュールとかいう概念を持ち出すとまたややこしくなるので止めておくが、もうちょっと、「思考や概念や意思を伝達する」言語の言語としての側面、言葉のチカラって奴を信じてみようかな。

朝日新聞じゃないが。
JR新宿駅の東口を出たら。
とりあえずDISCUNIONでも巡ってみてはどうか。
明治通りからだと伊勢丹の一つ先の角を曲がったらへん、新宿通りと甲州街道の間ぐらいの場所に、つまり中央通りに。ディスクユニオンが一番集中してる場所があるんですが。
そこにプログレ専門店があるんですよ。
行ってきたんですが先週末に。

以下収穫物

41EN4VRZANL._AA240_.jpg

ATOLL / 組曲「悪魔」



61T9V1JQCAL._SS500_.jpg

Van Der Graaf Generator / First Generation



Schizoid_Man.jpg

King Crimson / Schizoid Man



310Q90Y2JJL._SS500_.jpg

Yes / Talk



クリムゾンの宮殿が売ってた。
中古のLP盤で、お値段なんと ¥12,800
これはお買い得ですよ、奥さん!


・・・・・・なわけあるかっつーの。
レンタルとかダウン販売とかアレとかソレとかで音源は山のように持ってはいるが、半年前ぐらいから急に、手元に置けるような形で音楽が欲しいと思い立ち、ジャンルも時期もアトランダムな感じでCDを収集していたのですが。

こういうものをポンと買っていくコレクターもいるんだろーなぁ、間違いなく居るよなあ。
レコードの一枚でも買ってくればよかったかもしれん。プレイヤー無いが飾りに。

組曲「悪魔」は先ずレンタル屋には置いていないので入手できて満足だ。
まーAmazonでも買えますが。

同じ時間に原宿で友人達が買い物をしていたので、ついふらふらと、代々木方面から原宿駅まで明治神宮を突っ切ってしまい、しかも何を思ったか、賽銭入れてお参りまでしました。
「昔境内でポイ捨てしてすんません」と。

インターナショナルな神社って良いものですね。

原宿に出るとレイヤーっぽい人々が蠢いていた。
歩道橋の上からその様子を外国人がカメラに収めていた。
なんかイベントでもあったんだろうか。

井ノ頭通り沿い、歩道橋の下の喫煙公園(勝手に名づけた)で、時間をつぶしながら。
「なんか人混みに居心地の良さを感じるようになってきたなあ」などと。
セヴンスターの薫り。
隙だらけ。
そんな人間てイタい。
と思うヤツも多かろう。

でも最近ハッキリと自覚しました、私は隙だらけで居たいんです。
大学始まっていきなり酒の席が2度訪れて、何となく気がついたのだが。

ボケとツッコミのどちらが漫才の主導権を握るのか、という問いがあったとして、まあ解はよりけりだとしても、それは「ボケ」だろう、と即答する人間だと思うんだよね、俺は。いや、田中はいらないよ太田だけで良い、とかそういう意味ではない。そもそも2人以上で成立するのがコントじゃないか。言いたいのは、ネタ一つ分の確信部分をセリフとして吐き出すのは疑いもなく「ボケ」なんだと。

ボケって凄いよ。お笑いとか全く詳しくないが、ボケにはあらゆる確信が詰まってるんじゃないか。
天然ボケは才能としての芸術だ。
ネタとしてのボケは知性と努力の芸術だ。
いきなりなに口走ってんだ。

あまり楽しい話ではないが。
「笑い」というのは実際のところ、人間の攻撃性が発露される場所でもある。
他人をわざわざ攻撃する器量、攻撃しても大丈夫だという核心が無いとツッコミは無理だ。
故に松本人志的「場の空気を切り裂くような」ツッコミは敵も作りやすい。
明石家さんま的なボケは、まあ平和ボケとでも呼べばいいのか、その場に温和な空気を形成し、周囲を同調させる事で何気ない一言でも笑いへ持っていける。がしかし、笑ってもらうために常に味方を作らなければならない。

さんま型はハッキリ言って隙が無い。場の空気は完全にさんま一人が持っていって、ツッコミによってそれを切り裂こうものならヤジが飛ぶだろう。
それに対して松本型は、ツッコミを入れる松本自身が隙だらけだ。にも拘らず誰かが松本にツッコミ入れてもあまり面白くない。こっちもやはり、松本が好き放題言える場の空気みたいなものが形成されているんだろう。そういう意味じゃ、隙がない、もしくは、隙を突かせない、とも言える。

場の空気。

この際はっきり言わせて貰うが、私はコレが大嫌いです。

別に空気の読めない人間ではない。

だが時として、物凄くこの上なく、読んだその空気をブチ壊したくなる。
切り裂きたくなる。
「空気嫁」などと口にしたり、態度に出す人間を軽く軽蔑もする。

そして実際に空気を切り裂いちゃった後、新しい空気でその場を満たす、何てこともしません。
する気が起きません。
そんな隙だらけの人間です。
そしてそんな隙を突いて俺にツッコミを入れられる人間がいたら、マジで尊敬します。
師匠と崇め奉るでしょう。

…まあ、この場合の「空気」っていうのは、笑いを取る場面においてだけれども。

空気に頼りたくないんだよね、笑いに関しては。
あ~俺またアホやった畜生、とか、お前馬鹿じゃねえの、とか。
それで笑うのに「空気」なんて要るか、と。

ただまあ、ヤマなしオチなしでも、ゆるりと、もしくはダラダラ、語るのが一番自分の性に会ってはいて、これにはやっぱり「空気」が要るよなあ、とは思うんだけれども。
そこにオチやボケやツッコミを持ち込まれた瞬間が、ひょっとしたら俺が「空気嫁」と感じる瞬間かもしれない。
そんな事口には出さんがね。


…話を最初に戻すと。
こうして文章を書き連ねている瞬間も、やはり、隙間を埋めてるなあ、と感じてしまう。
何かを語ることは実際それ自体が隙だらけで、いくらでもツッコミの入れようはあるんですよね。
どんなに完璧な文章でも野次ろうと思えば可能なんだ。

その隙を埋めようと足掻いた瞬間、口数が減っていく。

自分で言うのもアレだが、野次ったり突っ込みいれるのには物凄く便利な脳を今のところ私は持ってしまっているので、それで他人を傷つけるのを過剰に恐れたり、そのドS脳の矛先を自分自身に向けて、正しい言葉や無害な言葉を語ろうとするあまり、結局何も口にする言葉がなくなってしまう。
そいうことが、年を取るにつれて増えている気がする。

隙を埋めていこうとすれば、結局何一つとして語れなくなる。

隙だらけで居たいです。いくつになってもね。

あわよくば初対面の人間にツッコミいれて治療不能な心の傷を負わせたり、どれだけツッコミが入ろうがボケ通せるだけの宗教めいた信念を持ちたい。

あ~あ、相変わらず変人だな俺は。
心理学やってるとこういう事をよく考えてしまう。
社会学だけやるって訳にもいかないもんで。

笑いをネタにしたついでに、ここ数年で一番爆笑したであろう洗練された一発ネタを書いとこうと思う。
2つばかり。


① ネコが(ry

② ふとんが(ry
ああ、秋だね~。
大好きだ、秋。
嘘の要らない季節。

夏季休講最後の3日間要りようで実家に帰っていた。
ジーンズを買い、有人とダラダラ喋り、明け方部屋に戻り、
午前10時に目が覚めて、ぼんやりと陽光を眺めつつ、
「実は、俺って恵まれてるんじゃ?」
などと、ぼやく。

他人からの賞賛や激励を、イチイチ、義務感や責任感に転化していたら、いつか死んじまうっつーの!という。

恵まれていると感じたなら、そこで思考はストップにして、それ以上突き詰めるのは止めておくべきだ。そんなことに、気がつくな、今更。

あと、時流に乗り切れないタイミングで観たアレを、
時流に乗らない程度に遅れたタイミングでコメントしようかと思う。
あまりコアなエヴァ語りはしない。恥ずかしいからしない。

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』 庵野秀明 0.000000001点

※開始1分 『この監督って、なんとなく、作家性と娯楽性とお金の流れが、不可分だっていう、
         信念か、確信めいた執着があるのかもね。なんかキモイね俺。』

※開始20分『いまさら気が付いたけど、俺別に、ロボットアニメとか好きじゃなかったわ』


※開始100分『ウタダの歌は良かったね。括弧いい。』

ヲワリ。
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