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1985/06/19
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25 2009 / 07
「チッ ハズレかいな」
で、ちょっと先の展開が読めた。
なんでもないよ、そのうち語るよ。
もう恥も外聞も捨てて語りたくなったよ。

言葉は大変に危険なものです。
一人の人間の想像上のものでしかないちっぽけな世界すら、一瞬で書き換えてしまう。

情報に対峙した時、その一秒先は自分のあり方すら予測がなじまない。なぜなら、予測もまた単なるひとつの情報だからです。いいかげん、情報という語が内包するありとあらゆる意味をもっと異質な言葉として細分化できないものだろうか。少なくとも、もうビジネスや政治的用法や学術的に用いるには多義的かつ広範、で曖昧すぎるんだよ、あんた、情報さんや。

それはそうとして、言葉をつむいでいただけで人生を変えられてしまうという経験は、無自覚にせよ、そんな視点から振り返ってみれば、誰にも多いのではないでしょうか。

この一ヶ月弱の間、基本的にここではないどこかで言葉を紡いでいただけの自分ですが、人生を変えられるというか、更新されるか、あるいは“つづき”を紡がれてしまったようで、それはもう怒涛のごとく。

ありとあらゆる感情がつまってはいたものの、総じて、楽しくて仕方がありませんでした。
言葉を紡いでいただけなのにね。

詳しくは書かないが、あるいは、もっと曖昧かつわかるようなわからないようなゼロ距離的な、俺という発信者の、物自体に近い、そんな言葉でいつか書くのだろうが。そういうわけで、一面的に凶器どころか核兵器旧の道具であったとしても、まああらゆる聖書だって究極の統一理論だって言語だろうし、そんな言葉という魔物に今後も向き合って生きたい所存でございます。

などと自ら宣言しておかないと、言葉が怖くて仕方がありません。
恐怖のうちにもまた、えもいわれぬ美しさが見出せる事は、勿論知っているつもりではあるが。
そういうわけで、新しい記事を。
レイアウト変えようかな、ここの。
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遂に6月も中旬になってしまった。
もう幾日か経るとこの世に生を受けてから24度目の誕生日を迎えるのですが、もう今年に入ったあたりから人様には「20台半ばです」と語っているので、恐らくあと3年はこのスタンスで通すのでしょう。何故かは知らないのだが、22歳を迎えたらその後26歳までで一区切りが付くと考える傾向が自分にはあるようで。

さて、このひっでえタイトルの記事ですが、とても20台半ばの人間が真顔で語ってはいけないタイトルについてですが、近頃ちょっとそれについて思う所があったので、普段文章化しないような話を綴ってみた。
文章化もしなければ口にも出さないが、実はこんな事ばっかり考えてる変態なんだけどね。

濃厚すぎて脳をやられそうな文章になっていたら幸いである。
ぶっちゃけ、自作の小説からの引用が半分ですが。


GWは一応旅行に行く予定があったのだけれど、誘われた相手から何の音沙汰もないのでキ

ャンセルして池袋サンシャインシティはナムコナンジャタウン行ってました。

そのナンジャタウンだけど、餃子専門店の列は圧巻だった。
デパートの飲食店フロアのテナントを募るような、それにプラスアルファとしてのテーマ

パーク形式なのか、それともテーマパークが先にあってのものなのかは知らないけれど、

間違いなく遊園地でもデパートとも違う何か異質な空間が新鮮でした。久々に某クーロン

ズゲートを引っ張り出してみたいと思った。何故かって、その一角は「昭和の町並みをイ

メージしました」などと銘打っておきながら、それっぽい看板やトタン塀や良く分からな

い提灯なんかの飾り付けでゴテゴテにされていて、もはや一種のサイバーパンクというか

アジアンゴシックと化しているからで、ありゃどう見ても一見さんにはホラーでしかない

わけで。俺は大好きだけどね。

それはともかく。

京都に行こうと誘ってくれた彼から何の連絡もないのがマジで気がかりです。
恐らく携帯止められているんだろうと思うけど、生きてたら何らかの手段で連絡していただきたい。
冗談抜きで、まあ大丈夫な様子ではあったけれど、まだ生きてるかどうかが心配なので。



最近就職関係の情報をネットで漁っている。
漁っていると、まあ、昔からよく聴く話が、つまりブラック過ぎて笑い飛ばせないジョークのような話をちょくちょく見かける。確か高校3年になった直後も似たような事してました私。その時と殆ど状況変ってないね。

そんな中でふと、思い返す。マスコミ中心に数年前に話題になった、

“会社とは誰のものか?”

という問いを。
確かホリエモン騒動の折だったと思うんだけれど、昔の自分は即答してた。特定の誰かに聞かれたわけでもないのに、こう呟いておりました。

“社会と国家のモノだろ”
と。

それは多分、“投資家のモノだ”“社員自身のモノだ”という決まり文句への反感を抱きつつ、という面もあったかもしれないけれど、また違う側面からは、一つ確信している事柄があった。

商品価値というのは、結局、生活の中で位置付けられるものなんじゃないかと思うのだ。
株主や金融業界が何を策謀しようが、実体経済の駆動抜きには企業活動はあり得ない物なんだし。

一つの商品が、サービスが、如何に価値を持つかというのは、結局消費者(と、呼ばれる人々)が決める事だ。
多少飛躍するかもしれないが、何かを買う、対価を支払って、自己や環境を、ライフスタイルを作り変えようとする事は、つまり未来を志向することに他ならないと思う。
未来の生活をどうしたいか、商品価値とはそれに尽きるのだ。

その3次的な欲望は、当然消費者イチ個人の中で完結するものじゃない。社会全体が、どんな将来を欲するかに関わっている。

一般に経済的に成熟しきった国は、GDP成長率も殆ど横這いで推移すると言われている。だから、退廃的で墜落した欲望が顔を覗かせる。そういう時に、企業はそれに逆らう権利など持ってはいない。そういう人々の欲望に答えるのもまた、企業の、社会の中での役割なのだ。未来を思い描けずに、その場その場の刹那的な欲に身を任せる人間が増大し続けたとしても、それは企業の責任ではない。

けれども、本当の意味で経済が駆動する為には、つまりいわゆる“好景気”のためには、新しい未来観の提示が不可欠なのだ。こういう生活をしてみたい、こういう世界があったらいいなあ、と、人々が夢想する未来のその中にポツンと1つ置かれている、そんな商品が求められるんじゃないだろうか。いわゆるブルー・オーシャン戦略ともちょっと被るけれども。

そして、なにもそんな未来間を人々が自動的に抱くのを待つ必要なんてない。これまでもそうだったように、企業自身が新しい未来のあり方を提示すれば良いのだ。それがコマーシャリングであり、メディアの訴求力なんじゃないだろうか。

P・H・ドラッカーが、「日本人は知識を生産性に昇華する能力が高い」と『ポスト資本主義社会-ダイヤモンド社』の中で指摘していたけれど、まあ結構古い本なんだけど、それは何故かって、技術=価値ではなくて、価値が何に依拠するかを、“生活”を中心に捕らえる能力が高かった為なんじゃないかと思うのだ。



……う~ん、こういうネタ書くほどには切羽詰っているというか、かなりパリッとしてます。
何しろ、同世代の友人知人が、ほぼ全員社会人、しかも企業人なもので。
会社止めて程ない奴、入ったばっかりの奴、気張り過ぎて体壊す奴と、色々おりますけれど。
コメントは一部特定の方からしか頂けないこちらのブログですけれども、意外に、まあさほど多くはないんだけどそれでも記事を書いているワタクシにとっては非常に意外なくらいアクセスを頂いていて、月イチの更新になってしまったのが悔やまれると言っていただけた矢先、遂に一度も書き込む事無く3月は過ぎ去り、梅も桜もすっかり満開を過ぎ去ろうかという今日この頃ですが。

理由はと言えば、単に忙しかっただけなんだ、先月が。
未だかつてなく予定がびっしりの弥生でした。

……そしてまあ、この卯月からひと年度近く、大学生活始まって以来のヒマさが襲い掛かってくるのではないかという可能性に怯えつつある俺なので、それも有効活用してこちらのブログの更新頻度も週2回ぐらいを目指してみたい所存でございます。
時間の使い道なんて幾らでもあるように思えるかもしれないが、多分、一つのカテゴリーに限って言うならば、一日あたりの効率の限界というのがあるんじゃないかと思うのだ。
書物だろうとネットだろうと、あるいは音楽や動画メディアだって、受動的なままダラダラ見ていてもあんまり意味ないもののような気がする。


というか総じて、今年の自分は何時にも増してアウトドア志向になりそうな予感で一杯なんですが。
いやマジで。

合宿所の寮にバスケ用のゴールがあったんで1on1やら3ポイントシュートで遊んだ。
小学生の時には絶対無理だと思っていたが、10余年のブランクを超えて決まるとはなあ。

友人を大慶園(ゲーセン)に連れて行ったあとバッティングセンターの魅力に気付かされる。
こっちでも近場にあったら通いだすかもしれない。

いや、三月は忙しかった、と上に書いたけど、その理由の約半分を占めるのは合宿でガーっと免許取ってきたからなんだ。別に自慢にもならないがMT普通で仮免、卒検、本免と全て一発合格、そしてなにより楽しかった。

運転が、ドライブが、何にもまして楽しい。
ステアリング切るのが、シフトレバー握るのが、アクセル踏み込むのが、素直に快感だ。

実家に帰ってからこちらに戻るまでずっとドライブ三昧でした。
とは言っても運転したのは教習所のブルーバード、母親のヴィッツと友人のトヨタマーク2の3車種だけですが。親父のエルグランドは燃費が悪魔のようだし傷付けるのも怖いんでまだ無理です。

でも、ああ、旅に出てーなー。
国内限定だけど。

そしてこの記事はなんだろう、近況報告って奴か。
自分もいよいよ普通の人みたいな事書ける様になってきたのか?
3月はまあ、勿論残り半分でさらにもっと色々な事があったんですが。

それはそれとして、ああ、旅に出てーなー。


大昔に撮ったもの
18a55a0b.jpeg

もしこれが日記なら、当然自分の事を書くものだよなあ、と思う。

最近ぜんっぜん自分の事を書いていなかったよなあ、と思う。
前々回は近況だったけどふた月前だし。

実は、煙草の銘柄を変えました。


変えた、というか、sevenstarsのレギュラーをこれまでずっと吸っていたのだけれど、半月ほど前から徐々に、同じセッター(sevenstars)系列のblack impactという、タールの低いメンソールに切り替えてきて、今はほとんどそれしか吸っていません。
煙草の新商品ってなかなか定着しにくくて、今吸っているこれも将来どうなるか分かったもんじゃあないんですけれど、もし1年後、2年後に消え去っているようなら、多分その頃にはほとんど吸わなくなっているんじゃないか、なんて気がしています。

煙草を吸うとねえ、
「世界が半透明に見える」んですよ。
もちろんそれは比喩だけれど、自分の見ている光景が、まるで薄紙の上の絵のように存在感を無くしていって、代わりに、その向こう側にある、視覚情報を媒介するための“光”それ自体が鮮明になってくる、あるいは視覚だけじゃなくて、あらゆる感覚から自分の存在が遠離るのを感じるんです。鈍くなるわけじゃくて、なんというか、5感で感じられるすべてが、意味判断や快感原則から切り離されて、単なる“情報”に集約されてしまう感じ。だからむしろ、普段よりもやや冷静になれるんですが。

・・・こんな事を書くと何だか物凄くヤバい薬のようではあるけれども、実際、薬物であることは間違いないよなあ、といつも思うのだ。

体に悪いとか寿命を縮めるとか、科学的な裏付けを持ち出されなくても、一口吸った時点で皆さん知っているはずです。吸ってる奴らは全員、文字通り身に染みて分かってると思います。

それを知っているのに敢えて吸い続ける、その理由なんてもう自分は持ち合わせていないのだ。
それに気がついてしまったので、いやでも一時のヘヴィースモーカーっぷりから考えれば大分減りはしたけれど、いきなりすっぱり“やめる”というわけには行かないので、こういう状態でしばらく持たせようと思うわけです。

 

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