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27 2024 / 04
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04 2010 / 04
jobs_jim_wilson.jpg

欲しいんです、疼くんです。
去年PCを新調したばかりだというのに。
さすがにハイリスクな買い物ではあるので、何がこうも自分を急き立てるのか分析してみた。


・次元の異なる挑戦

iPodに始まりiPhoneへ繋がる、数々の、ここ10年来におけるAppleのサクセスストーリーを彩るガジェット群は、しかし振り返ってみれば結局のところ既存の商品とビジネスモデルへの挑戦でしかなかったと思うわけです。iPodとはつまり、HDの小型化とmpeg layer3という、PC向けに開発された新技術を、すでにWalkmanが開拓していたポータブルオーディオ市場へ持ち込んで成功した商品で、iPhoneはそのiPodが後期に形成したクールなイメージに後押しされ、さらにiPod touch向けに練りこまれたマルチタッチディスプレイとそれに最適化されたOSの素晴らしさが相乗効果を伴ってこれまた爆発的に売れたんだけれど、それもまた“携帯電話”という既にビジネスモデルの確立された(しかもさらに成長の見込まれる)市場へ投入されたもの。
いわゆるガラパゴス携帯ばかり使ってきた日本人にはスマートフォンの登場がそれほど大きな衝撃をもたらさなかったかもしれないけれど、それでも自分は、スタイラスを廃し直接指を使う、しかもマルチタッチに対応したiPhoneOSの快適さに触れた瞬間、比喩でなく目を瞠ったのは事実なのだけれど、だが、しかし、そこがポイント。

前述したこれらガジェットは結局、既に市場がしっかりがっしり形成されている“赤い海”に、インターフェイスとユーザビリティに関するイノベーションを持ち込んで挑んだ、いわば既存の製品に対する挑戦に過ぎないわけです。

今度のブツ(iPad)はまるで事情が異なる。今回Appleが挑戦するのは、つまり戦いを挑むのは、Netbookに対してではなく、それどころか既存のいかなる商品に対するものでもない。

挑む相手はおそらく、人々のライフスタイルそのもの。

http://wiredvision.jp/news/201004/2010040222.html

iPadは消えるという、米紙のレビュー記事が転載されていました。
商品として消えるという意味ではなく、使用中、筺体が(iPadという媒介物が)そこにある事を意識しない、コンテンツやデータに直に触れているように感じさせる、という意味だ。

今の段階ではおそらく文屋の比喩表現ではあるものの、おそらく、ジョブスが目指したのはそこなんでしょう、最初期の紹介ビデオにあった、WEB閲覧の“best way”といううたい文句にせよ。実際に700グラム前後という重量を手にしてみると、片手でホールドしてストレスを感じないのは1時間が限度という印象なので、いくら薄いデバイスでも消えるというのは大げさでウソっぽい。けれども、最初期のiPodがどれだけ進化を遂げたかを鑑みれば、iPadもまた“技術的なハードルが多少あっても、目指すべき未来に一石投じる”という姿勢に基づいた、あるべき将来のスタイルに先行投資されるガジェットとして捉えられるように思う。

で、前述した挑む相手というのも、この目指すべき未来というのも、カバンの存在に関わってくるわけです。

・カバンは要りますか?

電車の中で、あるいは駅のホームで、病院の待合室や町の待ち合わせスポット、そういう空いた時間を過ごす場所で目にするのは、携帯電話をいじくってる人と、それから文庫本を開いている人が最も多く、次いで携帯ゲームを使っている人、新聞や雑誌といった大判のページを捲る人、手帳でスケジュールなんかを確認する人、たまに仕事道具勉強道具を広げている人もいる。珍しくないという程度に居るのはノートPC利用者、化粧を直すギャル。面白いのは、ヘッドフォンを着けたりタバコを吸ったりという非視覚的行為をも含めて、そうした場で利用されるアイテムが(化粧以外)きっぱり二分されるという点。

分類法1は、取り出してまた仕舞う先がポケットかカバンか。
分類法2は、デジタルデバイスかアナログデバイスか。
分類法3は、能動的である必要が生じるものか、比較的受動的なものか。

上記3の条件に当てはめて、iPadは何処に該当し何を代替するというと……。

先ず1だけど、出かける時にカバンを提げるか否かという判断に関わるモノたちになる。確実にポケットに入るのは携帯電話とポータブルオーディオとタバコぐらい。文庫本と、ゲームはDSiかliteだったら、ギリギリでコートやジャケット、スーツにある大きめのポケットに入るという感じで、残りはカバンに入れて持ち歩く必要が生じる。iPadは当然ポケットに入るわけないので、やはりカバンかケースが必要になり、単純に考えると、手ぶらで出かける時には切り捨てられてしまうように思われる。

次いで2。デジタルデバイスはバッテリーと耐久性に難がある。通信環境の有無でパフォーマンスが劇的に変わる。が、逆説的には両者が改善されればされるほど、アナログデバイスよりもずっと利便性の高いものになる。書籍の電子化が最大のキーポイントだけれど、これは後で。

最後3について。iPadはある意味最もアクティブなデバイスであり、同時に能動的である必要のない、むしろ最も受動的なデバイスにもなりうる潜在性を秘めている。この点に関しては能動か受動かという垣根を越えて、タバコと化粧以外のすべての携行物に対しアドバンテージを持ちうるんじゃないでしょうか。言い過ぎだ、いちいち取り出してジャケット眺めながら音楽聴くのか、仕事や勉強に使えるのか、電話できないじゃん、などと反論されるかもしれない。しかし、そういう人はBluetoothのキャパシティを考えてみてください、仕事でPCソフトを使う時間のうち何割がWordとExelとPowerPointに費やされるか、なぜ2月の発表会でiWorksの新しいインターフェイスがプッシュされていたか考えてみてください。ペイントツールも簡単な動画編集ツールも、画像加工ソフトもバーチャルシンセサイザもすでにあって、しかもさらに高クオリティな業務用ソフトが、違法コピーのリスクを最小限に抑えた形で売れる状況で待ち望まれていて、開発用コードが自由に扱えるという事実を鑑みてください。
だからこそ、これはライフスタイルへの挑戦だと言えるわけです。

「iPadがあるからPCは要らない、携帯も新しいのはいらない、BluetoothでiPadと繋がるマイクとスピーカーがあって、それでskypやネット電話できるならその方が便利、だからUSBメモリもSDカードも持ち歩かない、せいぜいポケットのカメラとつなぐ程度、テレビもよほど大画面だったりとか3Dが見たいとか思わない限り新調しない、リビングでも車でも外出先でも複数人でみられるディスプレイがあるのだから。最近はあんまりカバンを持ち歩かない、買い物をすれば紙袋をもらえるし、かつてその中にあった仕事用の書類も、ノートPCも、本や雑誌も、今はiPadの中に収まったから」

という人が、ひょっとしたら数年以内にも出始める可能性がある。それもおそらく、発展途上国のミドルクラスを中心にして。現われなかったらこの商品に未来はないし、増えだしたらそれこそ新時代の到来。Appleはまさに一か八かの勝負に出たのだと思います。自社のiPhoneとかMacBookも被害受けそうだから、これは極端な例だけど。ただ、自社が抱えている商品を脅かすようなリスクを常に考え、逆にそれを先取りして自らの商売とするようなしたたかさがないと、めまぐるしい変化の時代は生き残れないわけで。

勿論現状のiPadはPCとの同期を基調にしてあるけれど、今のところ外付けデバイスで欠如している重要なものはディスクドライブぐらいな

わけで、将来的にはという話。

・Apple全体主義の野望と電子書籍

知的生産、社会的コードの完全な統合が急速に進むのでしょうか。
かつて廉太郎や耕作さんは「音楽を商売道具にするな!」と叩かれまくっていましたが、経済活動が絡む事で、その後生まれた音楽産業が、平和な時代の訪れとともに爆発的に成長し、我々の愛するポップやロックの数々が生まれい出てきたわけです。

まあそれはともかく、書籍というのはデジタル化してしまうと最もデータの軽いコンテンツである事は間違いない。
にも拘らず、紙とインクによって形成される世界は、常に今日まで社会の在り方を規定し続けてきたわけで。
政治からジャーナリズム、アカデミズムに至るまで、あらゆる近代国家の社会構造を半ば自己実現的に決めてきた社会科学、宗教哲学の基盤たるメディアが書籍と文献というわけです。従来の人文科学にはたしかに、先人の論文を引用した論文とその書籍化、更に別の研究者がそこから引用する事で論文を書く、という、一種ハイパーテキストによるネットワーク=WEBとの共通点があるのだけれど、それらがデジタル化され、全世界規模のネットワークで瞬時にリンク=引用が可能になった時、ブログのトラックバックなんて比べ物にならないインパクトを社会にもたらすかもしれない。理系ならばなおさらで、全世界のあらゆる実験結果を、決定即導入して実験、開発に生かすといった事が可能

になる可能性もあるわけで。

まあ、それもこれも、知的生産に対する正当な報酬のシステムがあればこそ。
そういう意味では、独占的にコンテンツを囲い込み、脱獄は許さんというAppleの姿勢は正しいのかもしれない。
インターネットに多くの人間が途方もない時間を投資している現代だからこそ、信頼性を持ってそれが市場化されるというのは必ずしも悪い話ではないのです。

それでも30パーセントはむさぼりすぎだと思うけど。

・従来のデスクトップ、ラップトップPCを駆逐できるか

可能じゃないでしょうか。これほどシンプルなマシンはそうそうない。
これを読んでるあなたが普段使用しているアプリケーションって、Wind○wsみたいなべらぼうに重いOS介さなければ、ひょっとしたら半分以

下の性能のハードウェアでそこそこ走るソフトばっかりじゃないでしょうか。
何より、自宅のPCを滅多にシャットダウンせず、寝ている時も文字通りスリープモード、という人が世にどれだけ居るのやら。
少なくとも起動スピードではスリープモードからの立ち上げにすら負けているし、圧倒的多数のユーザーの要求する用途と比較したオーバースペックさ加減からも、そろそろパーソナルコンピュータという括りは衰退期に入っているのでは。まあ、速くて賢いに越したことはないのだけれど、MSの独占と、無制限にあらゆるファイル形式に開かれ、アップロードダウンロード思いのまま、全部タダ!というグローバルネットのカオスは行きすぎたと思う。

次回まとめです。
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