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1985/06/19
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anorexianervosa__
(アット)hotmail.com
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02 2025 / 02
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16 2007 / 07
前回ダーっと書き連ねてから気付きました。
一番肝心な事を一つも言っとらんな、と。
映画『Contact』について
・好きか嫌いか
好きだ!
正確には、今でも、まだ、好きだ。
そもそも好きでもないモンを取り上げたりしません。
・観賞を勧めるなら誰か
地球外知的生命体が居たら良いなあ、とか思える人
SF好きで、もろもろの宗教に違和感や胡散臭さを覚える人
・点を付けるなら何点か
これに関しては、例えば10点満点のレヴューがあったりすると、
「一定の評価」を得ている作品は大体が9~8に収まるよねえ。
そういう評価の手法の根底にある、欺瞞というか、失礼だが、
「ここが○○だから1点マイナスしとこうか」「10点は魂の作品に
あげるからずっと保留」という発想に、俺はなんか至りませんので、
「満点の作品がどこかにあるはずだ」って、消極的完璧主義に
しか感じられないので、でも何とはなしに点は付けとこうかなあと思う。
とそういうわけでこの作品の俺的点数は
N=R*×fp×ne×fl×fi×fc×L 点
まあとにかく、オープニングの映像が映画史に残るぐらい素晴らしいのでこの文章を目にした人間は観て下さい。観てほしい。
~以下前回略された部分~
日本人に信仰を語らせると「無宗教です」という答えが非常に多い、らしい、のだが。
しかし、そうすると日本の人口が4億人になってしまう(『世界の日本人ジョーク集』ネタ)ので、宗教と無縁ではないはずじゃないかな。そもそも、たとえばかつて小泉と靖国が散々マスコミのネタにされてたけど、死者を弔う文化はあるでしょう、日本人だって。
で、宗教を語る上で見過ごされがちなのが故人をどう扱うかという点だよね。この作品では主人公の幼い頃の父親との死別、という形で扱ってて、まあ言い方は悪いが上手い消化の仕方をしている。ポッドにのったアロウェイが出会う相手はなんと○○、という一番肝心な「オチ」の部分に持ってくるあたりは確信犯的で、この映画の比喩表現の上手さの一つでもあると思う。一部の観客がクソ映画扱いする理由でもあるが。
天国を宇宙に、神をエイリアンに見立てているのは言うまでもないんだけど、ジョセフ神父とアロウェイも、実は二人ともある意味で「はみ出し者」という共通点がある。
科学者にあからさまに敵対心を抱く原理主義的なテロリストも出てきます。
ジョセフはこういうのとだいぶ違うというか、大統領の宗教顧問になるような牧師で、「教会を批判する」という趣旨の事を劇中で言ってるんだよね。
ドラムリンというキャラが出てきます。
凄く功利主義的というかリアリスティックな人物で、最初にアロウェイの研究への資金供与を打ち切って、「君は優秀だからもっと役に立つ研究をしなさい」という趣旨の事を言う。
当然アロウェイはそれに反発する。ところがヴェガから電波が送られてきた途端、対策チームの代表に選ばれる。誰がマシンに乗るかを決める調査喚問で、アロウェイは「神を信じない」という趣旨のことを言うが、ドラムリンはあっさりと自身の「信仰」を語る。
この場面は、なんつーか、日本人もだんだんと染まりつつある、「科学至上主義の結果としての宗教解釈」をイメージさせてしまうんだよね。「神を信じる」という人に対して、「そういう(後進的な)人間もまあ居るよね、仕方ない、ハナシ合わせとくか」みたいな姿勢を。それが悪いとは別に俺は思わないが。
ひょっとしたらドラムリンは、功利主義的でドライな科学者の代表としてアロウェイを爪弾きにするために、配置された人物だったんじゃないだろうか。アロウェイは最後に実証主義と矛盾していた自分のあり方に気付くけど、ドラムリンは最後まで「オッカムの剃刀」だったんじゃないだろうか。
で、このドラムリン、奇しくも宗教原理主義のテロリストの自爆で死んじゃうんですね。
最後に祝福される主人公と神父とは対照的に。
つまり、科学と宗教の対立と和解を示す一方で、功利主義的と実証主義に凝り固まった科学、原理主義に陥った宗教の両者を断罪する、という構造を、実はこの映画は持ってたんじゃないか、信じるものは救われる、みたいな。
というのは、うがった見方でしょうか、はて。
他にもスポンサーのハデンが奇人扱い(しまいにはでっち上げ犯扱い)されつつも宇宙ステーションで息を引き取る、とか、冒頭の母親に対して呼びかけたがるアロウェイとか、比喩や皮肉があふれてて面白い。
神とか宇宙とか人類とかあらゆる物事を総体的に捉えすぎた作品ではあるけど、その割に少しもオカルティックじゃない、逆に言えばこれだけ壮大なのにまともでブレのない視点から描かれてる作品もそうそう無い。
これを名作と言わずして何と言いますか。
なんか全体的にすげー壮大なレヴューだったけど、
俺自身誤解を受けたくないので、
これ読んで「引いた」人は、その前に本作を一回でいいから見てくれよ、と。
おわり。
一番肝心な事を一つも言っとらんな、と。
映画『Contact』について
・好きか嫌いか
好きだ!
正確には、今でも、まだ、好きだ。
そもそも好きでもないモンを取り上げたりしません。
・観賞を勧めるなら誰か
地球外知的生命体が居たら良いなあ、とか思える人
SF好きで、もろもろの宗教に違和感や胡散臭さを覚える人
・点を付けるなら何点か
これに関しては、例えば10点満点のレヴューがあったりすると、
「一定の評価」を得ている作品は大体が9~8に収まるよねえ。
そういう評価の手法の根底にある、欺瞞というか、失礼だが、
「ここが○○だから1点マイナスしとこうか」「10点は魂の作品に
あげるからずっと保留」という発想に、俺はなんか至りませんので、
「満点の作品がどこかにあるはずだ」って、消極的完璧主義に
しか感じられないので、でも何とはなしに点は付けとこうかなあと思う。
とそういうわけでこの作品の俺的点数は
N=R*×fp×ne×fl×fi×fc×L 点
まあとにかく、オープニングの映像が映画史に残るぐらい素晴らしいのでこの文章を目にした人間は観て下さい。観てほしい。
~以下前回略された部分~
日本人に信仰を語らせると「無宗教です」という答えが非常に多い、らしい、のだが。
しかし、そうすると日本の人口が4億人になってしまう(『世界の日本人ジョーク集』ネタ)ので、宗教と無縁ではないはずじゃないかな。そもそも、たとえばかつて小泉と靖国が散々マスコミのネタにされてたけど、死者を弔う文化はあるでしょう、日本人だって。
で、宗教を語る上で見過ごされがちなのが故人をどう扱うかという点だよね。この作品では主人公の幼い頃の父親との死別、という形で扱ってて、まあ言い方は悪いが上手い消化の仕方をしている。ポッドにのったアロウェイが出会う相手はなんと○○、という一番肝心な「オチ」の部分に持ってくるあたりは確信犯的で、この映画の比喩表現の上手さの一つでもあると思う。一部の観客がクソ映画扱いする理由でもあるが。
天国を宇宙に、神をエイリアンに見立てているのは言うまでもないんだけど、ジョセフ神父とアロウェイも、実は二人ともある意味で「はみ出し者」という共通点がある。
科学者にあからさまに敵対心を抱く原理主義的なテロリストも出てきます。
ジョセフはこういうのとだいぶ違うというか、大統領の宗教顧問になるような牧師で、「教会を批判する」という趣旨の事を劇中で言ってるんだよね。
ドラムリンというキャラが出てきます。
凄く功利主義的というかリアリスティックな人物で、最初にアロウェイの研究への資金供与を打ち切って、「君は優秀だからもっと役に立つ研究をしなさい」という趣旨の事を言う。
当然アロウェイはそれに反発する。ところがヴェガから電波が送られてきた途端、対策チームの代表に選ばれる。誰がマシンに乗るかを決める調査喚問で、アロウェイは「神を信じない」という趣旨のことを言うが、ドラムリンはあっさりと自身の「信仰」を語る。
この場面は、なんつーか、日本人もだんだんと染まりつつある、「科学至上主義の結果としての宗教解釈」をイメージさせてしまうんだよね。「神を信じる」という人に対して、「そういう(後進的な)人間もまあ居るよね、仕方ない、ハナシ合わせとくか」みたいな姿勢を。それが悪いとは別に俺は思わないが。
ひょっとしたらドラムリンは、功利主義的でドライな科学者の代表としてアロウェイを爪弾きにするために、配置された人物だったんじゃないだろうか。アロウェイは最後に実証主義と矛盾していた自分のあり方に気付くけど、ドラムリンは最後まで「オッカムの剃刀」だったんじゃないだろうか。
で、このドラムリン、奇しくも宗教原理主義のテロリストの自爆で死んじゃうんですね。
最後に祝福される主人公と神父とは対照的に。
つまり、科学と宗教の対立と和解を示す一方で、功利主義的と実証主義に凝り固まった科学、原理主義に陥った宗教の両者を断罪する、という構造を、実はこの映画は持ってたんじゃないか、信じるものは救われる、みたいな。
というのは、うがった見方でしょうか、はて。
他にもスポンサーのハデンが奇人扱い(しまいにはでっち上げ犯扱い)されつつも宇宙ステーションで息を引き取る、とか、冒頭の母親に対して呼びかけたがるアロウェイとか、比喩や皮肉があふれてて面白い。
神とか宇宙とか人類とかあらゆる物事を総体的に捉えすぎた作品ではあるけど、その割に少しもオカルティックじゃない、逆に言えばこれだけ壮大なのにまともでブレのない視点から描かれてる作品もそうそう無い。
これを名作と言わずして何と言いますか。
なんか全体的にすげー壮大なレヴューだったけど、
俺自身誤解を受けたくないので、
これ読んで「引いた」人は、その前に本作を一回でいいから見てくれよ、と。
おわり。
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